『縛り首の木』(The Hanging Tree)['59]
『追われる男』(Run for Cover)['55]
監督 デルマー・デイヴィス
監督 ニコラス・レイ

 先に観た『縛り首の木』は、採掘した金の泥棒を働いて撃たれた若者ルーン(ベン・ピアッツァ)の命を助け、使用人として手元に置いて薫陶を与えていたDr.ジョー・フレイル(ゲイリー・クーパー)が「男ってやつは女に生かされてるんだな」と漏らしていた台詞が主題のような西部劇だった。何とも釈然としないクライマックスに妙に興ざめてしまったけれども、タイトルにしている縛り首の木を、新たな命を与えてくれたシンボルとしているような奇妙な映画なのだから、ある意味、首尾一貫しているという気がしなくもない。

 三十五年前に自分たちで上映したヴィスコンティ作品白夜に出ていたマリア・シェルが西部劇に出演していたとは思いがけず、大いに驚いたが、それ以上に唖然としたのが、邪な祈禱師ジョージ・グラブを演じていたジョージ・C・スコットで、フレイル医師を妬み嫌悪して群衆を煽り乗じていた姿がなかなか似合っていて感心した。最後の場面で金塊に目が眩むという、メンタリストらしからぬ即物さで醜態を晒していたのがいい。

 それにしても、ルーンから「あんたみたいなへそ曲がりは初めてだ」と言われていた博奕好きの赤ひげ医師フレイルに限らず、エリザベス(マリア・シェル)に執心の山師フレンチー(カール・マルデン)の人物造形といい、妙に釈然としなかった。


 翌々日に観た『追われる男』は、過日フォート・ブロックの決斗を観た際に「'50年代西部劇らしく、男の生き方とりわけ“フェアネス”について描いた正統ウエスタンの秀作だと思った」と記したものに擬えると、'50年代西部劇らしく、男の生き方とりわけ“矜持”について描いた正統ウエスタンの佳作だと思った。

 ジェームズ・キャグニーの演じたマット・ダウの見事なまでの誇り高さは、すべて行動に裏打ちされているから説得力があるし、発する言葉が的確だ。マットの真価を直ちに観抜いたスウェンソン牧場の娘ヘルガ(ヴィヴェカ・リンドフォース)の慧眼は、ある意味、マット以上で、恵まれぬ生い立ちの若者デイビー(ジョン・デレク)の心の闇を読み取った際に「目の表情」という言葉を使っていたのが目に留まった。

 『縛り首の木』や日本映画の楽園瀬降り物語にも描かれていたような、悪党と見るや吊し上げと縛り首に逸り立つ群衆の粗雑な制圧欲に抗して、法の支配と裁判手続きの尊重に拘るマットには相応の経歴があったわけだが、私刑に走り酔って浮かれる町の民警団の連中を逮捕した裁判の判決となった罰金5ドルに不服を抱きながらも、英国流の法の裁きだとそうはいかずとも、ここでは「法の支配」というものに徐々に慣らしていく必要があるという判事の弁に「一理ある」と納得し従うような柔軟さを持っている、常に冷静さを失わない人物像がなかなか格好好かったように思う。

 クールなようでいてカッとなりやすかった『縛り首の木』のフレイル医師と対照的だったように思う。そして、結果的に薫陶力においては、フレイル医師に及んでいない形になっていた点がまた対照的だった。たまたまながら、なかなか面白いカップリングになった気がする。
by ヤマ

'21.12.17. BSプレミアム録画
'21.12.19. BSプレミアム録画



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