『日本のいちばん長い日』
監督 原田眞人
監督 岡本喜八


 半世紀前の岡本喜八版['67]を観たのは、二十代の時分だった気がする。手元の手帳の記録には出てこないから、TV放映で観たのだろうが、たいへんに素晴らしい作品だった覚えがある。

 帝国陸軍青年将校による軍事クーデターということでは、当時僕は、かの226事件のことは多少なりとも知ってはいても、本作の描いた宮城事件のことを知らなかったから、より衝撃的だったであろうことを考慮しなければいけないが、そこのところのハンディを差し引いても、今どきのリメイク作品では、到底あの緊張感と切迫感に包まれた名作に及ぶものではなかろうし、ましてや金融腐蝕列島 呪縛『バウンス ko GALS』を除いて僕とはあまり相性の良くない原田眞人監督作品だから、と割り引いていたぶん大きな落胆がなくて、それなりに楽しめた。

 それにしても、原作者の昭和天皇への想いを最大限に汲んだような作品ぶりに、改めて原田眞人らしさを感じないではいられなかった。よく言えばサービス精神、わるく言えば阿りといったものだ。映画づくりに手練れているだけ際立つように思う。とはいえ、昭和天皇を演じた本木雅弘はなかなかよくて感心した。松坂桃李の演じた畑中少佐については、若く挫折を知らないエリート参謀の敗北を許容できないプライドの高さと思い込みの激しさが強調され過ぎていた気がする。

 印象深かったのは、軍の面目であれ、国体護持であれ、国の指導者や権力に携わる人々のいずれにも、戦争終結に際して民に寄せる想いを最上位に置く者が、昭和天皇以外には誰一人いなかったことだ。娘の結婚式の首尾を気にかけてくれる天皇に感激する阿南陸軍大臣(役所広司)の最上位はひたすら天皇だし、歴代最高齢での首相就任を天皇から懇願された鈴木貫太郎(山崎努)にしても、最上位にあるのは、お上の意思をいかに政府としてまとめあげるかにあった。阿南も鈴木もそれゆえに私心なく、私利私欲でないところが人格的高潔を醸し出してはいるのだが、逆に言えば、私利私欲さえなければ良いのかという気もした。

 大量の兵士を死なせる犠牲を払う戦闘を命じた点において、日露戦争を指揮した乃木将軍に次ぐ存在だったという指摘を阿南陸軍大将について本作が添えていた点にいかなる意図があったかは、いかようにも読めるところだと思った。ただ今や「私利私欲さえなければ良いのか」といった高次元の倫理が空しく思えるほどに、党利党略省益国益すらも私利私欲の偽装としか感じられないような言動を恣にしている国の指導者たちを目の当たりにする事態に及んでいるなかにあって、青年将校の暴走を抑えて昭和天皇の求めた戦争終結に命を賭して臨んだ人々の姿が美しく映るのは当然なのかもしれない。

 平成版の原田眞人監督による映画化作品を観て、政治の季節とも呼ばれる'60年代の岡本喜八監督版がそのあたりをどう描いていたのか、観直してみたい気がした。そこで、少し間をおいてから、ちょうど先ごろBSで放映されていた岡本版を録画で観てみた。時間の長さで言えば、上映時間は157分と岡本版のほうが136分の原田版よりも21分長く、1945年4月の鈴木内閣の組閣から描いた原田版よりも長尺だったことに驚いた。そして、“日本のいちばん長い日”たる8月14日に絞って描いたと言われる岡本版が、タイトルの映し出される前に序章的に7月26日からの情勢を、ちょうど原田版よりも長尺になる21分くらいの長さで説明する構成になっていたことも目を惹いた。

 作品としての最も大きな違いは、岡本版が“日本のいちばん長い日”たる8月14日に何が起きていたのかという叙事性を重視していることに比し、原田版が昭和天皇や鈴木首相、阿南陸相らの人となりを描き出すことを重視していた点にあるように思う。そして、岡本版には、原田版ではほとんど描かれなかった現場(厚木基地【第302航空隊】や児玉基地【陸海混成第27飛行集団】)が描かれ、原田版で松山ケンイチの演じた横浜警備隊長の佐々木大尉(天本英世)の畑中少佐(黒沢年男)以上にエキセントリックな姿が繰り返し登場していたことが目を惹いた。これにより、宮城事件を引き起こした畑中少佐(黒沢年男)らの“若く挫折を知らないエリート参謀の敗北を許容できないプライドの高さ”が印象づけられたりせずに、軍国主義の生み出すファナティックが浮かび上がってくるようになっていた気がする。

 そして、阿南陸相(三船敏郎)よりも森近衛師団長(島田正吾)の胆力のほうが印象深く、また、宮城事件の首謀は畑中少佐よりもむしろ椎崎中佐(中丸忠雄)であるような印象を残していた気がする。どちらが史実に近いのかは知る由もないが、映画作品としては、幾度も時計を映し出し、長い一日を捉えて緊迫感にいささかの緩みもなかった岡本版のほうが、やはり優れているように思った。


 折しも原作者の半藤一利が本作に絡めていま安全保障を考えるとき、『軍隊による安全』という視点ばかりが正面に出てきます。軍の存在が抑止力になる、といった議論ですね。でも本来は『軍隊からの安全』という視点も必要なはずです。といったことをインタビューに答えて語っている記事があった。いわゆる“お花畑の住人”としてではなく、現実主義者なればこそ、安保法制に反対するという立場を取っているようで武力だけで守ろうとしても守れない、貿易と外交力を軸にしたほうがいい。理想主義だと批判されますが、それが現実だし、本気で検討すべきだと思います。…こんなに自給自足ができない国、借金が1千兆円もある国が『大国』になれるわけがない。それが現実です。と述べていた。この現実認識は、かねてより僕も同じように思ってきたところだ。

 世界最強の“大国”アメリカでさえも、今や示威的に武力を行使する政策の無理に耐えかねて“リバランス政策”を進めてきているのだし、軍備強化に邁進している米中露のいずれの国も、むしろそれゆえに政情不安が絶えないように見えて仕方がないなかにあって、なにゆえ日本がリバランスを求めるアメリカに応えて軍事に注力したがるのかは、浅薄にも目先の利権目当てとしか考えられなくて暗然たる気持ちになってくる。

 いくらアメリカが「ショー・ザ・フラッグ」などと脅してきても、「それができない第9条を日本国憲法に置いたのは、連合国と言いながらも実はアメリカ単独だった占領軍司令部でしょう」と切り返し突き付けられる世界中のどの国も持っていないワイルドカードを、そんなことのために自ら棄ててしまうのは、どう考えても愚の骨頂としか思えない。いまどき武力の強化で威嚇して国が守れるなどと本気で思っているのだろうか。僕には疑問で仕方がない。

 そのように思うので、平成版『日本のいちばん長い日』に描かれた畑中少佐から、昭和版のファナティックな軍人とは異なる冷静さの保持のなかでの、プライドの高さと思い込みの激しさを強く印象づけられたことが、奇しくも、今の時代の日本の軍備の増強を利権とは離れたところで求める“中韓北鮮に舐められたくない思いに囚われている人々”の姿と重なってくるように感じられた。




推薦テクスト1:「神宮寺表参道映画館」より
http://www.j-kinema.com/rs201508.htm#nihon-ichiban2015
推薦テクスト2:「神宮寺表参道映画館」より
http://www.j-kinema.com/ichiban-nagaihi.htm
推薦動画:「池上彰の戦争を考えるSP」より
https://www.youtube.com/watch?v=I-xpo0y6YyQ
by ヤマ

'15. 9. 1.& 9.20. TOHOシネマズ5&BSプレミアム録画



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