『チャッピー』(CHAPPIE)
監督 ニール・ブロムカンプ


 五年前に観た前作『第9地区』は、かのアバターと同工異曲のような内容だったけれども、主人公ヴィカス(シャールト・コプリー)のおよそヒロイックとは程遠い凡庸な小物ぶりが却って効いていて思い掛けなく面白く、ヘンに色恋を絡めて了解の得やすさを仕込んだりしていないところが気に入った覚えがある。

 人間というのは本当に始末が悪いというか、どうしようもないロクデナシなのだが、「ときどき奇跡的な捨てがたい輝きを放ったりするんだよなぁ」などという感慨を覚えた記憶がある。そのなかで、人間に対しても、エイリアンに対しても、善悪両面を備えた造形を施しているところが目を惹いた。そして、軍隊や企業、換言すれば“他者をないがしろにする暴力と金儲け主義といった巨悪”を批判する、実に古典的で真っ当なスタンスを取っているのに、陳腐で胡散臭くは見えてこないところがよかった。

 だが本作では、からくもチャッピーと関わった人間のみいくらか改心するものの、出てくる人間皆々のろくでなしぶりばかりが目について、「なんだかなぁ」という気分に見舞われた。

 確かに見せる力はあると思うし、意表を突いたハッピーエンドは、一応ハッピーエンドながら、原題さながらにCクラスのハッピーさで、まさしくチャッピーだなどというオチは単なる僕の思い付きに過ぎないかもしれないけれど、内心そうとも言えない気もしていて、少々こまっしゃくれてはいるが、なかなか捻りを利かせた才気を感じさせるのだけれども、『第9地区』と違ってロクデナシの改心が、今いち奇跡的な輝きを放っていなかった気がする。映画作品全体として妙に小汚い印象が拭えなかったように思う。

 また、高度な学習能力で知能のみならず感情までも獲得するロボットを描いた作品は、これまでにも幾つもあるけれども、僕の好きな『ショートサーキット』のNo.5の学習プロセスの納得感からすると、チャッピーはいつの間に、どうやってGPS機能のことを名称とともに学習し、コンピューター操作までできるようになったのか、その学習過程に納得感が得られなかったように思うし、感情体験の描出も粗雑だったような気がする。

 それにしても、ヒュー・ジャックマンには驚いた。あんなろくでもない役をよく受けたものだと感心するとともに、悪党面を演じてもやはり上手いものだと感心した。その点では、シガニー・ウィーバーも上手いもので、宇宙人ポールのときのような感心にまでは至らなかったものの、流石だと思った。

 結局のところこの作品、監督・脚本を担ったニールが投影されていると思しき“メイカー(「創造主」などという仰々しい訳が与えた印象がマイナスに作用している気もするが)”たるディオン(デヴ・パテル)のパーソナリティが妙にイラつくので好きになれなかったということなのかもしれない。
by ヤマ

'15. 6. 1. TOHOシネマズ4



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>