『ゼウスの法廷』
監督 高橋玄


 地元での上映会を検討中とのことで、製作総指揮・脚本を担う監督から送られてきたとのDVDを観てほしいと知人から求められた作品だ。四年前に観たポチの告白['06]は、なかなか気骨のある作品だったが、本作も日本の司法制度に対する痛烈な問題提起を主題としていて、どうやら高橋監督はライフワーク的に取り組むつもりのようだ。

 タイトルさながら挑発的なまでにパワフルだった『ポチの告白』に比して、随分と穏やかに洗練され調えられた構えになっていたが、それだけに問い掛けている問題の深刻さは増しているように感じられた。とはいえ、高橋作品だから、周防監督・脚本のそれでもボクはやってない['07]のようなスマートさとは無縁で、乱暴なまでの虚構性の元にストレートな物語が繰り広げられるのだが、そこに却って作り手の思いの強さが窺え、説得力に繋がっていたように思う。

 最も痛烈な指摘は、現今の司法制度が極端に狭いムラ社会によるヒエラルキーの呪縛から逃れられない構造になっていて、本作でも引用される日本国憲法第76条第3項「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」が空文化し、組織の論理及び判例にのみ拘束されていることへの言及だったような気がする。

 もはや個々人の法曹の“良心”の及ぶ問題ではなく、本作の加納判事補(塩谷瞬・椙本滋[声])がそうであったように、所期の志が潰えてしまうような同調圧力から逃れられない構造になっているわけだ。「裁判官は、その人間性が損なわれるものである」ことの描出が力強く、加納の母親(風祭ゆき)の口を借りて作中でも述べられるように、個々人の問題ではないところに深刻さがある。

 重過失致死罪で懲役四年の求刑を受けた中村恵(小島聖)の法廷での証言態度が実に見事で、内田弁護士(野村宏伸)の同僚が彼女の父親(横内正)に「あなたの娘さんは本当に立派だ」と告げる場面に感じ入った。判事の上司の勧めた見合い相手である婚約者が被告で、当の上司の息の掛かった裁判所からの出向判事が検事で、国選弁護人が判事を司法健全化の内部活動に誘っていた司法研修所教官だった元判事の弁護士。全員が公私に渡る顔見知り同士というありさまで、ここまで極端に関係者ばかりの組合せによる被告・弁護人・検事・裁判官などあるはずもないのだが、被告の特異性さえ除けば、実際の法廷もこれとそう大差ないということを作り手は言いたかったのだろう。

 そのうえで、この組合せの“ゼウスの法廷”で起こったことが決して茶番には感じられなかったところに感心した。そして、僕の察した懲役二年、執行猶予四年の量刑が、加納に見合い話を勧めた飯塚判事(出光元)の口から出たのを聞いて、思わず苦笑してしまった。

 また、エリート判事補の加納と婚約した恵を囲んで十年ぶりに再会した同窓会で(吉野さやか)たちに「ね、ゲバラって何?」と繰り返し訊ねる後輩の様子が複数回設えられながらも、誰もが「チェだよ、チェ!」としか答えない姿に笑ったり、婚約者と交わる暇さえ11分しかないほど膨大な処理案件を抱えさせられたなかで、土曜日に検察との親善ソフトボール試合を河川敷のグランドで行うという何十年も前に死滅したように思われる職域文化が、司法の世界では2011年当時でもまだ残っているのか疑わしかったりしたのだが、それなりにリサーチしていることが窺えた。親善ソフトボール試合の件は、けっこう興味深く、法曹ムラ社会の旧態ぶりからは今なお残っていてもおかしくはないように思えるところが可笑しい。実際のところは、どうなのだろう。

 ところで、二十年前に観た劇団ク・ナウカの舞台よろしく、加納判事補をムーバーとスピーカーに分けて演じさせていたのはかなり特殊なことのような気がするが、塩谷瞬は、そんなに台詞回しが下手だったのだろうか?
by ヤマ

'14. 4. 6. プロモーションDVD



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