『地獄でなぜ悪い』
監督 園子温


 二年前に観た冷たい熱帯魚のあと少々停滞しているように感じていた園子温なのだが、彼の造形力と演出力というのは、やはり生半可ではないことに改めて感心させられた。つい最近観た『R100』で「つまらないだけではなくて、何だかイヤ~な映画だ」と思わされた松本人志のやりたかったことは、恐らくこういう破格なのだろうと本作を観て気付かされたように感じるが、それこそ実力と才能が100倍違うような気がする。

 実録などと言いながらリアルなのは小汚さだけで実に芝居掛かっていた東映ヤクザ映画や外連味に溢れ返っていた大映時代劇などの大衆娯楽路線の作品群からラモリスの赤い風船といったものまでの邦洋を問わぬクラシック作品への敬愛と、最近のSUPER 8CUTキツツキと雨桐島、部活やめるってよなどに窺えた“映画愛”を、それらの作品を遥かに凌駕し圧倒するパワーで、これが映画だ!と言わんばかりに画面いっぱいに大暴れさせていて恐れ入った。亡くなった森田芳光監督の模倣犯は、世間の批判に晒された作品ながらも僕は高く評価しているのだが、これを想起させるショットも本作にはあって、同作を園監督が大いに買っているような気にさせてくれて、ちょっと愉快だった。

 単刀直入に「リアリズムなんか糞くらえ!」というのが映画の造形力の真骨頂だと主張しているわけだ。先ごろ観たホワイトハウス・ダウン』の映画日誌に「エンタメ作品には、こういう練り上げと迫真性さえあれば、リアリティなんぞ全く必要ない」と記したことを思い出したが、ハリウッド的な物量パワーとはまるで違う形で、それ以上にパワフルな造形を果たしていて、実に見事だと思った。

 とりわけ「プロの役者というのは本当に凄い」と思えるような引き出し方をしていて、そこに最も力が入っているように感じられたところが素晴らしく、凡百の映画“作家”などと呼ばれる類と一線を画しているようで大いに唸らされた。演出家としての監督の力量というのは、やはり役者の力をどこまで引き出せるかなのだろうと改めて思った。

 相棒カメラマンに「お~、お前は死んでもフィックスかよ、すげぇな」と、その弁慶の仁王立ちのような姿に感動していた素人監督の平田(長谷川博己)が、本人信じるところの“最高のショット”の詰まったフィルム缶を抱えて、狂気じみた興奮と妄想に見舞われながら力を振り絞って走っている姿を観ていたら、思いがけなくもグッと来てしまい少々狼狽した。いやぁ、大したものだ。




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by ヤマ

'13.11. 1. TOHOシネマズ1



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