『真田風雲録』['63]
監督 加藤 泰


 これまで幾たびかニアミスを繰り返しながら、不思議と縁がなく今に至るまで観ることのなかった作品だが、長らく映画生活を続けていれば、いつか巡り会えるということなのだろう。ちょうど半世紀前の作品で、僕が五歳のときの映画だ。本作で、真田十勇士の主だったメンバーが、はなれ猿の佐助に初めて出会った関ヶ原の戦いのときの年の頃は、十歳~十二歳という感じだったから、少し上になる。

 映画というものがまさしく時代を映す鏡だという点において、本作は、ある意味、典型と言えるような気がする。六十年安保闘争を経て敗北と挫折に晒された学生運動のなかで、その闘士やシンパが共感したであろうヒロイズムが破天荒な若々しい筆致で綴られ、これこそまさにヘルタースケルターと題してやりたいような屈折した強かさに彩られた軽みに魅力があったように思う。

 そして、僕が二十代半ばのときに“滅びに向かう黒い情熱”という言葉を残して、同じ職場を去り、妻子を置いて駆け落ちして消えた7歳上の友人のことを思い出した。彼に猿飛佐助(中村錦之助)のような読心術があったとは思えないけれども、心の動きや機微に非常に敏感な人物だっただけに、その言葉が忘れられずにいる。

 彼は東大安田講堂事件のときに受験を迎えた世代で、六十年安保闘争には参加していなくて七十年安保闘争組なのだが、函館ラ・サール高校から都立大に進んだ彼が完全な戦後生まれであるのに比して、六十年安保闘争組は戦中生まれであることが、本作を観て強く感じられたように思う。言うなれば、若くして太平洋戦争に殉じていった兵士たちの生まれ変わりのような形で生を受けている世代なればこその死生観と、戦後を知っていればこその虚無や無頼感のようなものが相まって、大義のためなどではなく己がやりたいようにやって死に場を求める、言わば“死地に向かう黒い情熱”にコミットする心情が六十年安保闘争組にはあったのだなということが、本作を通じて伝わってきたような気がした。

 また、「自分のやりたいようにやって、あとはカッコ良く死ぬだけだ」などと言っていた真田幸村(千秋実)が、戦士者の死体に躓いて折れ槍に腹を刺され「カッコ悪ぅ」とボヤきながら死に行く様を、ある種のかっこよさとして描いていたひねりが、なかなか効いているように感じた。佐助が、我が子の流産をした霧隠才蔵ことお霧(渡辺美佐子)を、生き延びた千姫(本間千代子)とともに江戸に向かわせるために姿をくらますひねりなどとともに、'63年らしい自虐的なヒロイズムや美学がよく表れていたような気がする。

 そして、真田隊の暴走が波及しないよう抑え込んだ豊臣方執権の大野治長(佐藤慶)に「抑えるのが役目の自分なれば、首尾よく果たせたことに満足しているが、同時に、者共が立ち上がらなかったことを最も嘆いているのも自分である」というようなことを、佐助にして読心のできない人物の言葉として吐露させていたのが印象深かった。

 それにしても、由利鎌之助(ミッキー・カーチス)のギター侍というのは、どこから来た着想だったのだろう。やはり日活無国籍アクション映画の影響だったのだろうか。それはともかく無国籍時代劇というフィールドは、半世紀を経て今なお漫画世界に引き継がれているように思う。そして、状況劇場出身の「根津甚八」の芸名や'60年代末に小室等が率いていた「六文銭」というグループ名も真田十勇士というよりむしろ本作に由来する形で命名されたのではなかろうかという気がした。

by ヤマ

'12. 8.23. あたご劇場



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