あたご劇場での自主上映会

『血斗水滸伝 怒涛の対決』['59] 監督 佐々木康
『少年』['69] 監督 大島渚
『勲章』['54] 監督 渋谷實
展示:戦後の高知市内の映画館の状況 岡本卓也(黄昏キネマ)

 木曜日の高知新聞に「高知市の愛好家調査」として、当上映会の主催者のひとり「黄昏キネマ」の岡本卓也さんが県内の各データベースを調査して高知市の映画館最盛期における状況を調べ、上映会場の映画館で展示する旨の報道がされていた。

 僕の手元にある資料では、高知市史現代編に昭和「三二年には浦戸町、朝倉町、田淵町、鴨部、長浜、種崎の映画館を加えて市内で三一館になったといわれる。」と記されている昭和32年がピークなのだが、館数は示されつつも、館名と所在地の全てまでは記載されていない。

 昭和61年に発行された和田編集長による『月刊土佐』では、昭和35年時点での映画館の詳細が地図と共に掲載されているのだが、28館に留まっていたので、今回の調査は、それらを補う労作であり、かつ従前、ピークは31館と言われていたのが、実は32館であったことを明らかにしていた。

 この32館で現在も興行を続けているのは、この日の上映会場になっていた「あたご劇場」と今は成人映画専門館になっている「高知小劇」の2館のみだが、映画興行がデジタル配信に完全移行したら、この劇場も閉館に追いやられるのかもしれない。

 岡本さんの調査を報じた新聞記事では「高知市に戦後46映画館」となっていたが、
映画百年にちなんで平成7年に高知市が開催した「シネ・フェスタ高知」に際して行われた調査資料と思しき文書には54館の名称が並んでいる。もっとも同じ館でも名称を変えたり、場所を移転したり、経営者が変わったりとしているので、数え方を揃えずに数だけ比較しても意味がないのだが、岡本氏の手作り展示には個々の映画館にまつわるエピソードや上映作品についてのコメントが添えられてあって、愛好家ならではの資料になっているのが魅力だった。



 金・土曜日に上映された『血斗水滸伝 怒涛の対決』は、映画館調査におけるピークの昭和32年作品ではなく、昭和34年の映画だが、「黄昏キネマ」主宰者の岡本さんが小学校に上がる前に親に連れられて二度も観に行った思い出深い作品だそうで、幼心にも中村錦之介の演じた洲崎の政吉の苦しい胸中が可哀想でたまらなかったそうだ。

 オープニング早々に美空ひばり演じる八千草が唄い踊る“よさこい節”などを耳にすると、当地ゆかりの作品と言えなくもない面もあり、また、当時のポスターを縮小コピーして裏面に刷り込んだチラシに掲載されている「ずらり揃った顔・・、顔・・、顔・・、関八州の大侠客が大利根河原に血煙あげる!!」の惹句そのもののオールスターキャストの“顔”が圧倒的で、そのいずれにもきっちりと見せ場を構えていて見事だった。芝居の流れを汲む映画の肝は見せ場であって物語ではないことを改めて思った。言わば、スピルバーグやタランティーノの作品のようなものだ。彼らが日本映画に影響を受けたと言っているのは、きっとこういうところなのだろう。歌い手には歌い手の、貫禄には貫禄の、気風には気風の、男気には男気の、悪役には悪役の、狂言回しには狂言回しの、それぞれの役者に見合った見せ場見せ場をきっちり作り出している。

 笹川の繁蔵を演じた市川右太衛門のみならず、凶状持ち雨傘勘次を演じた大川橋蔵も、繁蔵の子分佐吉を演じた東千代之介、国定忠治の片岡千恵蔵、平手造酒の大友柳太朗もさることながら、繁蔵親分と同じく力士くずれとの富五郎を演じた若山富三郎が目を惹いた。飯岡組の三段目までいったという元力士のヤクザに挑発されて止む無く取った相撲の際の腰構えの見事さに感心した。お調子者の勝んべを演じていた堺駿二も相変わらず良かった。そして、例によって憎々しい進藤英太郎と月形竜之介。東映オールスターキャストの面目躍如たる作品だったように思う。


 日曜日に上映された『少年』は、今回スクリーンでは初めて観たものだが、上映会の主催者の一つである小夏の映画会の主宰者の田辺浩三さんに是非にと乞われ、'87年にビデオで観たことのある作品だ。二十五年前に観た記憶ではモノクロ作品だったので、いきなりカラーで始まって大層驚いた。会場には高知でもロケを行なった撮影当時(昭和43年)の新聞記事が貼り出されていたのだが、主演の少年(阿部哲夫)がその当時に10歳なら、ちょうど僕と同い年になるわけだ。

 今回、再見して思ったのは、60年代的サイケに用いられた色調と同じ位に派手派手しい原色系の洋服を着てケバく浮いて映ることが強調されていた継母(小山明子)の存在や印象深く映し出される赤いゴム長靴一つと腕時計を埋め込んだ宇宙人雪だるまの姿にもかかわらず、本作がモノクロ作品であるとの印象を植えつけていたのは、パートカラーで撮られた本作の実景がカラーであることに対し、少年の心象風景がモノクロ画像で提起されていて、それが非常に強い印象を残していたのだろうということだった。

 鮮やかすぎるほどに鮮やかな色の全てを記憶から消し去ってしまうだけの映画の力というのも大したもので、僕がいかに少年の“色のないモノトーンの心象”にコミットさせられていたかの証とも言える。その凍えるような厳しさということでは、とりわけ北海道での寒々とした雪景色のなかでの幼い異母兄弟の会話の印象が強く、少年を追って表に出た2歳児を連れ戻しに出ては来ない両親はその間、宿で情事に耽っていたのだろうなどと思った。今度は、黄色の野球帽や赤いゴム長靴の色を消し去られることはないような気がする。


 本作は、'80年以来ずっと僕が手元に控えてきている各年度のマイベストテンにおいて邦洋合わせ、ビデオ鑑賞作でベストワンに選出した唯一の作品なのだが、改めて観直しても流石だと思える作品だった。前日に観た『血斗水滸伝 怒涛の対決』で御座敷芸として出てきていた“よさこい節”が、本作でも芸者による三味線と共に唄われ、少年が呟く“南国土佐を後にして”も出てきていたが、よほど流行った唄だったのだろう。地元紙で大きく紹介されたこともあってか、会場は近来見ないほどの盛況で、少なからぬ人々が、今はなくなっている昭和中期の映画館の所在地や写真を懐かしみ、昭和四十年代の映画に映っている高知の風景を見たくて訪れているような気がした。そういう意味では『少年』は、高知がふんだんに現れる映画ではないのだが、二年前に上映されたボクは五才['70] が好評で、翌年再映されたように、今は失われた土地の風景風物が記録されていることの価値が見直され、とりわけ東日本大震災以降、特に映像資料の有用性が注目を浴び始めているような気がしている。

 そこには大きく言って、次の三つの価値があるように思う。先ず「人々の心に訴え、日本人としてのナショナリティ及び地域の絆を結ぶツールとしての有効性」だ。そして、「文化財的資料価値(地域の記録映像及び映画作品)」。さらには「観光イベント等においても有効な経済的資源」としての価値である。しかしながら、所管省庁が地域づくり(総務省)、文化財(文化庁)、経済活動(経済産業省)にまたがっていて、総合的な取組みができていない。

 そのようななかで、2010年の“全国コミュニティシネマ会議 in Yamaguchi”に参加した際のディスカッションにて、国立近代美術館フィルムセンターの岡島主幹から「寄贈作品は近年増えてきており、アーカイヴの観点からは、ナショナル・アーカイヴとともにリージョナル・アーカイヴが是非とも必要。」との意見を聴いて以来、とても気になっているのが“リージョナル・アーカイヴ”という事業展開による「ご当地映画を中心とした“ゆかり”作品の収蔵及び利活用の地方移転」の可能性だ。

 国立近代美術館フィルムセンターによるナショナル・アーカイヴにおいて、現行のアーカイヴ事業に先の三つの観点を取り込み総合化するとともに、「リージョナル・アーカイヴにおけるスタンダード」についてナショナルセンターとしての提示をしてもらい、事業展開としては「自治体公募によるリージョナル・アーカイヴ施設の整備」を進めるというようなことが起こらないものだろうか。

 名乗りを挙げた地方の側では、①国のフィルムセンターでの研修による技能習得、②地域の記録映像の発掘・収集(デジタル・アーカイヴへの移行問題)、③ご当地“ゆかり”映画の収集・研究、④映像資源の地域への還元、利活用(教育・観光ほか)などに取り組むことになるわけだが、その連携展開を進めるためには「国立近代美術館フィルムセンターを軸にしたソフト支援」と「上記ソフト支援と連動した施設整備補助」というものが欠かせない。文化庁の“メディア芸術センター”構想は、麻生政権の頓挫とともに潰えたが、新たなセンターを作らずとも、映画に関しては充分に魅力的で有用な事業展開が可能だと思う。

 高知という片田舎でささやかに催された自主上映企画に参集していた人々の声を小耳に挟みながら、そんなことを思った。


 『少年』と併せて上映された『勲章』は、警察予備隊を改編した保安隊を所管する保安庁が防衛庁に改変された年の作品だった。映画作品としては、風刺劇ともシリアスドラマともつかぬ中途半端さと間の悪さが残念ながらも、再軍備に向かう情勢における元軍人たちの想いを映し出している点で、題材的になかなか興味深い映画だった。






*『少年』
推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/archives/1533
by ヤマ

'12. 5.11~13. あたご劇場



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