『不灯港』をめぐる往復書簡編集採録
チネチッタ高知」:お茶屋さん
ヤマ(管理人)


  2010年1月23日 21:30

ヤマ(管理人)
 お茶屋さん、こんにちは。
 『不灯港』に関するお宿題、ちゃんと回答をサイトアップしてくれて、ありがとね。
 「(こいつは)俺の女だ」という万造の台詞に私は「勘弁してよ」と思ったそうだけど、これだから、拙日誌にも“バカで不器用な男”と書いたんよね(笑)。この台詞は、そのへん狙っての仕込みだと思う(ふふ)。バカなんだから大目に見るというのではなくて、美津子が万造への気がないことを見せないから大目に見るという立ち位置が、僕には新鮮で面白かったなー。

 実は僕は、お茶屋さんと違って美津子が万造を想ってないとも思ってなくて、彼女が去ったのも、あくまで心変わりだと思っているから、拙日誌に良くも悪くも“変われる”女と、“変われない”バカで不器用な男の対照と綴ったんだけど、お茶屋さんには終始一貫、彼女に万造への想いはなかったと映ってたの?

(お茶屋さん)
 はい、そうですよ〜。仮に好きだったとしても嫌いではないくらいの程度だったと思いますよ。

ヤマ(管理人)
 あらま、そいつは手厳しい(苦笑)。じゃあ、心変わりでも何でもなかったってことなんだねー。


-------美津子に万造への思いはあったのか-------

ヤマ(管理人)
 確かに最初のベッドへの誘いに応じたときは、ま、世話になるのだからという代償感のほうが強く窺えたけど、だからこそ、その後の彼女の様子が、それとは違うものになっていっていることが描かれていたように、僕は思ったんだけどね。
 それが、つまりは例の“赤いスカーフ”で、おそらく彼女の感覚からすれば、かなり野暮ったいはずのものを、ああしていつも身に着けていたことが即ち彼女の万造への想いの現われとして描かれていた気がしたんよね。

(お茶屋さん)
 う〜ん、そうかなぁ?

ヤマ(管理人)
 映像表現としては、そういうことになると僕は受け止めてた。

(お茶屋さん)
 もし、万造への想いの現われなら、おばちゃんたちに「欲しい」「くれる?」と言われたときに「もらったばかりだから」と言ったのは、うまい断り方ですね。

ヤマ(管理人)
 いかにも女性の得意な言い回しだなーと思ったりした(あは)。

(お茶屋さん)
 私はあのスカーフが心のこもったものだとわかっているから、それをすぐ人にやるのは悪いよなーという気遣いだと思いましたが。

ヤマ(管理人)
 単なる気遣いか、自身の真情としての想いなのか、そのあたりは明示されてなかったね。

(お茶屋さん)
 う〜ん、どちらにでも取れるのかなぁ。おにぎり作って配ったとき、そんなことするなって言われて、美津子は表情を変えなかったけれど、私は彼女のタイプじゃないよな〜と思いながら見ていました。まあ、私のタイプじゃないってことなのかもしれませんが(笑)。

ヤマ(管理人)
 かるかんにも「(こいつは)俺の女だ」という万造の台詞に私は「勘弁してよ」と思ったって書いてあったものね(笑)。でも、併せて美津子の表情から、彼女がそれほど自分を思っていないと読み取るのはむずかしいだろうから「俺の女だ」発言は大目に見るべきかもしれないともあった。いずれにしても、美津子がハナから万造に心寄せてなどいないことが前提だよね。だから、心変わりでもなんでもないわけだよね、お茶屋さん的には。

(お茶屋さん)
 菜の花畑でも、万造は好きな人と一緒で楽しいのだろうけど、美津子はピクニックが楽しいんだろうな〜と。美津子はなんでも楽しんじゃえる人ですよね。

ヤマ(管理人)
 このへんの着眼は、とても鋭いと思うと同時に、非常に興味深いなぁ。
 実は、僕はかねてより、人と一緒に何かを楽しむとき、「その人と一緒」の部分が重要で何かのほうにはこだわらないのが女性に多く、男は、何かの何それ自体が楽しくないと、「一緒」によってその何かが楽しくなるってことは、あんまりないような気がしていたんだけど、互いに異性に対して逆イメージを持っているようだね。いやぁ、面白い。実に興味深い。<容疑者Xの献身(笑)。

(お茶屋さん)
 福山=龍馬ですね(笑)。私はそういう男女の違いを意識したことがなくて、へぇ〜という感じなんですけど(笑)。万造と美津子についても、単に二人を見ていて思ったことだしなぁ。

ヤマ(管理人)
 そーなのか。じゃあ、女性が意外に楽しそうにしてたり、楽しかったと言うのは、リップサービスなり、気遣いだったんだねー(苦笑)。

(お茶屋さん)
 万造は美津子を見ているけど、美津子はあんまり万造を見てなかったような気がしたんだけど…。これも私の万造>非タイプというバイヤスが掛かった見方かもしれないです。二人は見つめ合っていましたか?  同じくらいの視線の温度で。

ヤマ(管理人)
 そう言われると、見つめ合ったりはしてなかったように思うけど、互いに好意を持ち合ってると、必ず見つめ合うものなのかなぁ。


-------魚の腹の中から出てきた髪飾りの意味-------

ヤマ(管理人)
 さて、宿題の件だけど、美津子がサーファーと海で戯れて落としていったものというのは、おぉ〜の思いがけなさがあって、とっても面白かった。

(お茶屋さん)
 えー!だいたい、そう思うのが多数派だと思ってた! Uさんもそんなふうに受け止めてたみたいだし。

ヤマ(管理人)
 へぇ〜、そうなの。
 でも、それなら、シルエットでもいいからその浜辺での青姦場面を入れとくべきじゃないかな、映画の作法として。むろん髪飾りは映し出さずにね。

ヤマ(管理人)
 サーファーのもとに走ったのだから、失恋の象徴というわけね、なるほど。

(お茶屋さん)
 う〜ん、それは宿題のプレッシャーがなせる、こじつけの感がありますけど。

ヤマ(管理人)
 「失恋を糧にして大きくなれよ」というのは万造に向けた作り手の思いなわけだけど、髪飾りを箸で挟んでじっと見つめていた万造の心境としては何を受け止めました?

(お茶屋さん)
 よみがえる失恋の痛みというふうに受け止めていました。

ヤマ(管理人)
 おぅ、ここんとこは同じだ。
 そして僕の場合は、見つめているうちに「あいつは人魚だったのかもしれないなー」っていう思い付きが浮かび、心の仕舞いをつけていくほうに向かうんだけどね。

(お茶屋さん)
 う〜ん、なかなかいいですねぇ、やっぱり。人魚、まったく思いつかなかったもの。万造は思いつきそうですよね。

ヤマ(管理人)
 このラストシーンについては、いくつかの意見を聞いたけど、そのどれも違っていて実に面白い! そんでもって気付いたことがあってね、まず大きく分けて、魚のなかに髪飾りが入っていたことを“リアル”として受け取るか、“イメージ”として受け取るかってのがあって、さらには、描出として受け取るか、メッセージとして受け取るかってのもあるってこと。

 美津子の死とか、海での落し物とかっていう受け取りは、実際に魚の腹の中に髪飾りが入っている“リアル”を前提にしている感じだよね。他方、僕が受け取った“万造が心の整理をつけた心境”とか、“美津子の帰還の予兆”とかいうのは、実際の魚に髪飾りが入っていることよりも場面描出の手段としての“イメージ”の提示のほうが強い気がする。
 でもって、僕の受け取り方というのは、作り手が万造の心境を端的に表現した描出で、美津子の死とか帰還のほうは、出来事の描出ということになる気がする。そして、お茶屋さんの「失恋を糧にして大きくなれよ」というのは、対観客というよりもむしろ万造に向けた作り手からのメッセージとなるわけで、それぞれの違いが非常に面白かった。


-------美津子の人物像-------

ヤマ(管理人)
 あ、それと“かるかん”には子どもが母を追わない謎が残るとあったけど、まさおは、確か美津子の実子じゃなかったと思うよ。姿を消した男の残していった連れ子だったんじゃなかったっけ?

(お茶屋さん)
 うん、その可能性も考えたんだけど、私は前の男と美津子との間の子どもだと思うことにして、ああいうふうに書きました。いろいろ考えたのよ。子どもが母を追わないのは、前にもこんなことがあって、一旦は出て行っても迎えに来てくれたことがあるから追わないのかもとか。そすると、母が「美津子って呼びなさいね」と言ってたんだろうなとか。この考えが我ながら気に入って親子と思うことにしたんだけど(笑)。
 ただし、あの親子が最初に万造とすれ違うときに、手もつないでなければ、子どもが母をまったく見上げなかったので、見るからによそよそしいよね。脱「親子のセオリー」ってのでもいいなと思ったんだけど(笑)。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。“脱”とするためには、実の親子を前提にしなきゃ成立しないもんね。あの母子の距離感が気に入って、そこに“脱「親子のセオリー」”ってものを受け止めたければ、自ずと実の親子になるってのは、よく分かる。

(お茶屋さん)
 わかってくれて、ありがとー。どっちでもよかったんだけど、物珍しいほうに乗っかっちゃった。

ヤマ(管理人)
 ところで、まさおに自分を名前で呼ぶようにさせていた理由のとこ、も少し詳しく教えてくれない?

(お茶屋さん)
 母よりも女、優先なのかな〜と。

ヤマ(管理人)
 なるほど。単純ながらも説得力アリだね。

(お茶屋さん)
 え、そうですか!よかった(^_^)。

ヤマ(管理人)
 でも僕は、万造を捨てて出て行く美津子の基本キャラを“薄情者”にはしないほうがこのドラマが生きてくる気がするんで、…

(お茶屋さん)
 うんうん、それはそうですよね。薄情者ではなかったし、気のいい女性として描かれていましたよね。

ヤマ(管理人)
 うん。 なのに、まさおを置いて、お金を巻き上げて出て行く。そのへんは、どう観たの?

(お茶屋さん)
 薄情者の表情じゃなかったもの。悪いことは重々承知、やむにやまれぬという表情だったでしょう?

ヤマ(管理人)
 なるほど。

(お茶屋さん)
 大切なものに正直な人なんですね(貢いで捨てられるのかなぁ?)。

ヤマ(管理人)
 変わってしまった自分の心=大切なものとも言えそうだね。

(お茶屋さん)
 ちょっとくらい、お金を残していってあげたらいいのにと思ったけど、考えてみたらそんな中途半端なことをしたら、万造はよけい腹が立つだろうし(ちょっとでも残してくれて助かると思う自分に腹が立つと思う)、一部残したとしても盗っていくことに変わりないわけで、罪滅ぼしみたいなことをしない潔さはいいかもしれないと思いました。見習わないと(笑)。あ、美津子は全部必要だから残さなかったのだと思います。

ヤマ(管理人)
 気のよさより、やむにやまれなさのほうがまさったということなのね。だから、薄情者というわけではないんだ(笑)。
 で、彼女は薄情者じゃないという意味でも、別れた男が残していった実の子でもない少年を足手まといにせずに連れている女性ってのが、物語的にもしっくりくるような気がしてたんだけどね。

(お茶屋さん)
 そうですね。しっくりきますね。
 ヤマちゃんの日誌の万造は、美津子を“海から上がってきた人魚”のような存在だったと思うことにして仕舞いをつけたのだろう。←男のロマンを求める万造にピッタリ!

ヤマ(管理人)
 ありがと。

(お茶屋さん)
 同じくまさお(広岡和樹)を贈り届け、張りのない一人暮らしに甲斐を与えて、また海に帰っていった←ほのぼのと美しいです。
 この映画の雰囲気にも合っている! ヤマちゃんもロマンチストやったんやー(^_^)。

ヤマ(管理人)
 映画のなかの台詞にロマンチストは長生きしねぇぞってのがあったから、そればっかだとヤバいよね〜。で、他方で頑張って、憎まれっ子、世に憚らなくっちゃってのもしてるんだけどね(笑)。
 それはともかく、起こった出来事ないしは運命というようなものへの受容力の高さという面も含めて彼女にそれなりの器を与えているように感じたなー。そのほうが、“心変わり”も鮮やかに浮かび立つし、ね。拙日誌にも書いたように良くも悪くも“変われる”女と、“変われない”バカで不器用な男の対照ってのが本作の核心部分にあると思ってたからねー、僕は。


-------“ヘタウマ”か“こなれ”か-------

ヤマ(管理人)
 それと、拙日誌にこなれたスマートさとは無縁の粗略さのなかに妙に味のある映画版“ヘタウマ”ともいうべきテイストと綴った僕に対し、かるかんに映画としてこなれていると思うと書いてたお茶屋さんとの対照というのも、非常に興味深く感じた。
 僕は、カウリスマキ作品のような“スタイリッシュな感じ”というのをあまり感じなかったんだよね。で、言われてみて、成程そういう面もあるなと思ったの。拙日誌にも綴った“調子ハズレのもたらす笑い”ってとこでは、通じるとこ、あるもんね、確かに(笑)。

(お茶屋さん)
 そうね〜。今もって、こなれていると思いますよ。万造が失恋して港の灯りが消えていくシーンなんか、灯りの消えていくタイミングといい、万造の心象風景としてもよかった。だいたい、カウリスマキだって“ヘタウマ”じゃん(笑)。

ヤマ(管理人)
 内藤監督がいつ次回作を撮れるのか見通し不明だけど、もし程なくして撮ったら、それで、こなれているのか“ヘタウマ”なのか、決着つくかもねー。
by ヤマ(編集採録)


      



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