『シャッター・アイランド』(Shutter Island)
監督 マーティン・スコセッシ


 この作品のエンディングを観て、多くの人はどう受け止めるのだろう。二十年近く前に観たジェーン・カンピオン監督のエンジェル・アット・マイ・テーブルに描かれたジャネットは、からくも施術を免れて、そののち詩人として認められるに至っていたけれども、この映画のエンディングであれば、結局テディ(レオナルド・ディカプリオ)自身の選択によって、“モンスターとして生き延びる生よりも善良な死”としてのロボトミー手術が行なわれたと受け取ってしまう観客が少なからずいるのではないかという気がする。

 だが、テディの言う“善良な死”を受け入れるのは治療でも救済でもなく、それが正気に立ち返った意思の選択させたことなら尚更のこと、ロボトミー手術に替わる薬物治療の開発に取り組んでいた精神科医の態度としてあり得ないことだから、その言葉を耳にしたうえで放置するはずがない。かの主治医(マーク・ラファロ)は、灯台でのジョン・コーリー院長(ベン・キングズレー)の言葉にあったように、薬物治療の敗北という治験結果を望まない医師団を構成していて、そのために並々ならぬ寄り沿いを患者たるテディに対して試みていたのだから、当然のことながら、彼の正気を察知したならば、その後の行動は明々白々という他ない。

 しかし、この映画のラストシーンでは、石段に腰掛けていたテディの横に腰を下ろした主治医に対してテディが妄想界で呼んでいた名前の「チャック」と呼び掛けたことで、彼に治療効果が認められないことをコーリー院長に向かって首を振ることで主治医が伝え送り、それを認めて頷いた院長の元に彼を見送るなかで、テディの発したその言葉にはっとする表情を見せはしながらも、押し留めることのない姿のままで終えていた。だから、主治医のその表情でその後の引止めを仄めかしつつも、それらを見落とした観客に対しては、作り手がロボトミー手術をやはりテディの負うべきものとして描いていたという受止めを促すような気がしてならない。

 なにしろ昨今は、僕の生きてきた半世紀余りの時間のなかで最も“不寛容の時代”になっているから、こういう作品を観ると、ロボトミー手術の非人間性を感じるよりも、テディの言葉どおりに“救済”を口実に無害化して排除する心理を働かせ、物語の筋立てとは逆に作用してしまう人が少なからずいそうな気がする。そういう意味でロボトミー手術の肯定を促しかねないところがあるがゆえに、些かタチの悪い作品だと思った。テディ自身の望んだ選択という形を取っていたし、舞台設定を1954年にしていたから、尚更のことだ。

 おそらくは作り手が待ち構えているであろう“ロボトミー手術肯定との批判”に対しては、「だから、映画の始まる前に、仕草や視線を見逃さないよう“忠告”を出していたでしょう。主治医が放置するはずがないじゃないですか。」というエクスキューズが、作り手側から確かに出来る仕掛けにはなっている。けれども、この問題は、そういうレトリックの遊戯として扱うべき事柄ではないし、とりわけ今の時代がそういう状況にはないように思う。この時代状況だからこそ引っ掛けやすいというところもあろうが、これでは、映画としての遊びどころを間違えているような気がする。

 観客に注意喚起を促したうえで嵌めにかかった罠という点では、父親の幼い実娘への乳揉みを観客に受容させかねない罠を仕掛けてあったギャスパー・ノエ監督のカノンに通じるところのある映画だと言えるように思う。『カノン』の本編中で挑発的にクレジットされていた「ATTENTION!=デンジャー・サイン」に相当するものが、きちんと“忠告”として映画の始まる前にクレジットされていたわけだが、『カノン』の罠が“単なる罠のための罠”ではなかったことに比べ、本作の罠は、浅薄な遊戯に留まっているように思われるところがお粗末だし、仕掛けた罠が無意識のうちに刷り込むであろう悪影響の大きさが比較にならない気がする。

 また、これは字幕のほうでの問題だけのことなのかもしれないが、幼い我が子三人を殺した母親が“うつ病”であったとする場面もあって、かなり気になった。僕の浅薄な知見なのかもしれないが、気力や行動力の減退をもたらす“うつ病”が重症化することで自殺に向かうことはあっても、この映画に描かれた形の殺人に向かうことはないような気がする。

 その他も含め、いろいろな点で精神疾患に対する誤解と偏見を助長するような作品だったように思う。ここでもまた1954年を舞台としたミステリーエンタテイメントにすることで周到にエクスキューズを利かせていたわけだが、実にタチが悪いと言うほかない。娯楽作品に対してそう尖がるのは野暮だという気もしなくはないが、不寛容ということでは、排除と懲罰の心理をくすぐるような形で提示されたロボトミー手術のほうに対して不寛容でなければならないと、僕は思う。

by ヤマ

'10. 4.13. TOHOシネマズ7



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>