『チェチェンへ アレクサンドラの旅』(Alexandra)
監督 アレクサンドル・ソクーロフ


 チェチェン紛争のロシア軍最前線にいる孫息子デニス大尉(ヴァシリー・シェフツォフ)を訪ねて来たアレクサンドラ(ガリーナ・ヴィシネフスカヤ)に「祖父ちゃんは祖母ちゃんを虐げ、祖母ちゃんは母さんを虐げていた」と語らせていたのが妙に印象深かった。祖母の来訪中にも指揮官の立場で「一地区掃討してきた」というような職務に就いているばかりか、アレクサンドラの訪問申請を許可した上官の言う「彼は職業軍人なんです。我々は若いときから戦場で暮らし、人殺しの技術しか身に着けていない。戦争が終わってロシアに帰っても何も出来ない。」といった状況にある兵士たちに紛争の是非を問うこと自体が空しく、ロシアがチェチェンを虐げているのも、祖父が祖母を虐げ、祖母が母を虐げていたのと同じく、凡人が繰り返す営みとして極めて普通に起こる避け難いものだというふうに捉える視点があったように思う。だが、それは不可避なるがゆえにやむなきものとして受容する視線ではなく、それを不可避としてきた国構えの論理とは対照的な庶民の厚情と悲しみを提起することで問い直しを迫る部分を秘めていたような気がする。ロシア対チェチェンではなく、言うなれば“男なる軍隊”対“女なる生活者”という視座を最前線の現場に持ち込んだ作品であるように感じた。
 危険だから出るなと言われた基地の外にアレクサンドラが出向くと、そこにあるのは戦場などではなく、チェチェンの人々の生活に欠くことのできない市場であり、そこで出会った同じ高齢者女性は、チェチェン人ながら、アレクサンドラが感心するほど達者にロシア語を話すし、アレクサンドラに対してもとても親切だったりする。考えてみれば、彼女の年齢だとソビエト連邦として一つの国だった時間を過ごしてきているほうが長いのだろうから、言葉が流暢なのは意外なことではないのだろう。ちょうど台湾や韓国の高齢者に日本語の堪能な人たちが決して珍しくなかったりするのと、同じような事情があるような気がした。そして、恐らくは台湾人や韓国人の高齢者においてもそうであるように、支配され抑圧された屈辱や怒りの記憶とともに、自身の若きときを過ごした時間と一体化している懐かしさやよき思い出もまた、ロシア人に対して皆無ということではないのだろう。他方、若いチェチェン人の男のほうは、アレクサンドラにロシア語で話し掛けられて、求められた菓子を売ることを拒む。後世代の男のほうが頑なにならざるを得ないのに比べて、老婦人の柔らかさが際立っていた。しかし“男なる軍隊”の前に“女なる生活者”は、歴史的には常にあまりにも無力だった。
 だが、近頃の日本では、若い男たちが“草食系”と呼ばれる一群を形成する状況が生まれつつある。その評判は極めて芳しくないもので、かなり揶揄が込められている気がしないでもないのだが、江戸時代を除き、かくも長く戦乱なき時代を過ごしたことのなかった戦後日本の平和の生み出した一つの成果ではなかろうかという思いがどこか僕のなかにはあって、悪くないことのように思ったりするのだけれども、芳しくない評判の急先鋒が主に女性のほうから向けられているように感じられるところもあって、事は一筋縄ではいかない。そこには、この作品で、ある意味、単純化されていた“男なる軍隊”対“女なる生活者”という視座の提示では済ませられない問題の根深さがあるような気がする。しかし、たとえそうではあっても、少なくとも“核抑止力”などという国構えの論理に、我々庶民は丸め込まれてはならないと思うのだが、それとても、威勢よく声高に賢しらぶって核武装の必要性を口にする者が決して軍隊に近いところにいる者に限らないのが、嘆かわしくも哀しい現実のように思う。
 四半世紀前にイージーライダー』('69)を観たときの日誌に何の関係もない行きずりの農夫の手によって射殺される二人を描いたラスト・シーンは、そういった意味での真の自由の宿命を描いている。しかも、辛いのは、農夫が農夫であって警官ではないことだ。自由の抹殺に直接手を下すのは、体制ないし権力ではなくて、いつも平凡なる不自由人なのである。と綴ったのだが、“自由”に限らず“平和”についても、同じことが言える状況がいつ何時訪れてもおかしくない危うさがあるような気がする。


推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1049667953&owner_id=3700229&org_id=1050555059
by ヤマ

'09. 7.29. 美術館ホール



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