『チェ 28歳の革命』 (Che part1)&『チェ 39歳 別れの手紙』 (Che part2)
監督 スティーヴン・ソダーバーグ


 '58年生まれの僕とは、ちょうど三十歳違いになるから、父親たちの世代の人物なのだが、連続ロードショーとの告知で示された二つの邦題『28歳の革命』『39歳 別れの手紙』の巧みさが手伝って、チラシに書かれていた「2つのチェ・ゲバラ、連続公開」は、今春の僕の一番の楽しみだった。だが、原題を『チェ』とする本作パート1で描かれていたのは、28歳のエルネスト・“チェ”・ゲバラ(ベニチオ・デル・トロ)その人の魅力というよりも、キューバ革命において彼の果たした役割のほうに主軸があって、僕の求めたものとは少々違っていた。

 '64年にニューヨークで開かれた国連総会にキューバ代表として出席し、仇敵国アメリカを訪れた36歳のときのインタビューや演説がモノクロ映像で再現される一方で、カラー映像で革命に邁進する若き二十代の日々が描かれ、交互に映し出されるという構成になっていたわけだが、あまりに忠実にTVの報道映像を意識したままで綴られていくために、ドラマとしての映画のなかの人物たちの息遣いが伝わってこない。そのくせ、実際の報道映像のような対象化した臨場感が生々しく息づいているわけでもない。と日誌に綴ったトラフィックの監督作品なのだから、想定内と言えば想定内ではあったものの、それならそれで、カストロから「君の政治力が頼りだ」と命じられた反政府勢力の共闘態勢づくりにおいて、革命後の農地開放の進め方などに異見を唱えていた勢力やそれ自体を否定していた勢力を彼がいかにしてカストロの率いる「7月26日運動(M26)」にまとめていったかが、もう少し丁寧に語られるべきだったように思うし、ゲリラ戦の名手としてのチェを描くのなら徒に戦闘場面を重ねるのではなく、その戦略論も披露してほしかったように思う。だが、そういう面では、政府軍の武器移送を行うトラック奇襲作戦の進言を退け、リスクを負っても拠点攻撃に向かう戦略を立てたフィデル・カストロ(デミアン・ビチル)と比べると、一歩も二歩も後塵を拝しているように描かれていた気がする。

 人物像としてはモーターサイクル・ダイアリーズに描かれた彼のほうが、もっと生き生きとその魅力が捉えられていたように思うが、勉強家の理想主義者であり、戦闘力だけでは革命兵士にはなれないと識字力のない兵士のための教室を開き、時に自ら部下に算数を教え、民衆の支持がなければ、革命はなしえないとの核心を外さずに、制圧した地域での接収は行わないで、自身の元職であった医療活動にも当たることで民衆の支持を得ていった人物であることは、この作品でもそつなく描かれてはいた。

 とは言え、せっかく若きキューバ革命期のエルネストに焦点を当てているのだから、フィデルとの関係をもっときちんと描いてほしかった気がするのだが、そういうものは他にもあるということなのだろうか。人間ドラマをソダーバーグに期待しても無理だとは思うものの、こういう映画には、やはりエモーショナルな喚起力というものがあってほしく、何とも残念だった。僕は、この作品を観て、むしろ高知では未公開のままになっているドキュメンタリー映画の『チェ・ゲバラ-人々のために-』やオリバー・ストーンが75歳のカストロにインタビューした『コマンダンテ』のほうを観たくなったのだが、第二部である『39歳別れの手紙』のほうも観逃す気にはなれなかったのは、やはりゲバラの力なのだろう。

 その第二部は、二週間ほど時を置いて観たのだが、専らボリビアにおけるゲリラ戦の日々をパート1と同様のスタンスで描いていた。どうせなら、キューバ革命期の前線司令官時代と新生キューバ政府要人としての訪米時とを交錯させていた構成にも倣って、新生キューバ政府要人としてのキューバでの日々とボリビア革命軍での指導者としてゲリラ戦に従事している姿とを交錯させればよかったと思うのだけれど、そうはなっていなかった。最も残念だったのは、パート2は、処刑後に発見された“最後の341日間”を記したゲバラ日記を原作としながら、そこに綴られていたであろうゲバラの“肉声”を言葉としては殆ど伝えていなかったことだ。ひたすらゲリラ軍の苦難の状況を丹念に再現することに徹していたように思う。

 そこに浮かび上がってきていたのは、ゲバラ自身はキューバ革命のときと全く変わらない手法を踏襲していたにもかかわらず、正反対の結果にしかならなかった現実だったような気がする。そして、まさに彼の掲げた「革命か死か」のスローガンが実証されていた。そのことによって、全く同じ人物が全く同じ手法を取ったのに正反対の結果が導かれた理由は何だったのかということが、自ずと問われてくるとともに、キューバ革命の成功が、ただ専らゲバラというカリスマの力によって果たされたわけではないことを示しているとも感じられる仕掛けになっていたように思う。歴史と社会を見つめる眼差しとして、確かにそれは冷静で妥当なものだと賛同するのだが、その視線の在り様があまりにも映画的感興を殺いだ形で提示されることに対しては賛同できないところが僕にはある。

 それはともかく、本作から窺われたキューバとボリビアで成否が分かれた要因の第一は、何と言っても“民衆の支持”だったように思う。キューバで奏効した「接収は行わないで、自身の元職であった医療活動にも当たることで民衆の支持を得る手法」がボリビアでは通用しないことに対して、ゲバラが「政府側の革命軍孤立化キャンペーンに民衆が易々と乗せられるのは、キューバ人民ほどには困窮していなかったということなんだな」というような、ちらりと恨み言を零す台詞が確かあったような気がする。そして、その台詞でも触れられていた革命軍孤立化キャンペーンや対ゲリラ特殊部隊の訓練および新鋭兵器の供与といった面でのアメリカの強力な介入が、第二に挙げられるべきものとして印象づけられる作品になっていたように思う。製作にアメリカ資本が入り、アメリカ人監督による作品としてかような映画を撮ることがソダーバーグの面目だったのでもあろうから、単にそのスタイルだけに拘っているのでもなさそうには感じた。




推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0902_1.html#che
推薦テクスト:「FILM PLANET」より
http://homepage3.nifty.com/filmplanet/recordC03.htm#chepartone
推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dfn2005/Review/2009/2009_03_02.html
by ヤマ

'09. 1.14.& 2. 1. TOHOシネマズ5



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