『楽土 パラダイス』を読んで
勝目梓 著<祥伝社>


 芥川賞受賞作家の絲山秋子のニート』を読んで衝撃を受けてから、彼女が原作者である廣木隆一監督作品やわらかい生活繋がりで、勝目梓の『夢魔』を再読してみようかと思ったのだが、こちらももう十五年前の作品ながら初読となる本書のほうを読了した。

 勝目梓の作品は具体の細部における生々しさが特徴的なのだが、やはり男の作家の書くものは観念性に色濃く支配されているような気がする。観念性という点では、先ごろ初めて読んだ松浦理英子の作品にも強い観念性が窺えたのだが、大きな違いは、男の作家の場合は、非常に能書き的な論理性に彩られた観念性であるのに対し、松浦理英子のは、論理性とは異なるところでの感覚的な観念性だったような気がする。

 本書にしても、見知らぬ者から送り付けられてきたAVテープに出演している恋人の大学生 由香のとんでもない痴態を観て当惑(誰が何のためにそんなヴィデオテープを送りつけてきたのか?) 不快感とブラックユーモア的なおかしさ(出演している女優が由香そっくりの別人に見えた) 疑念(沢えりかと名乗っている女優は由香本人ではないのか?) 確信(テントウ虫のリング! フェラチオをしている由香のとろけるような表情と眼差し!) 衝撃(!!!) 怒り(対象は必ずしもはっきりしていない) 嫉妬(これがもっとも盲目的でマグマのように強大な打撃力を備えていた) 怨み(あの由香がどうしてこんなことをしなきゃならないんだ!) (由香はいったい何を考えてるんだ?教えてくれ!) 悲嘆(これで由香との恋は終わった。いや、終りになんかおれはできない。できっこない。由香のことを忘れることなんかできるわけがないじゃないか!) 喪失感(茫然自失。大地が裂けて自分が地の底に落下していく思い) 欲情(説明不能。狂乱のせいで心身のコントロール回路が切れた結果?)一ダースに及ぶこのようなそれぞれの思いや感情は、ただ順を追ってぼくの胸を通り過ぎていったわけではなくて、一巡したあとにはさらに入れかわり立ちかわりして戻ってきて、ぼくの心の中を嵐で沸き立つ海のようなありさまにした。(P14)という状況に見舞われた船迫周二が、
 人間の性行為は千差万別でね。そりゃもう奥の深いものなんだよ。人それぞれが性的アイデンティティーを持ってるのさ。自分の性のアイデンティティーを自覚して、それに忠実になってはじめて、人は自由になれるんだからね。ホモだってレズだってサドマゾだって、何も恥じることはない。セックスに快楽を求めるのは人間の特性なんだから……(P217)と考え、夫婦で実践しているAV監督の千野満に導かれるようにしてセックスについての不必要なこだわりを捨てて自由になるべきだとする千野満の主張(P210)に従い、
 性に対するさまざまなこだわりや重荷から自由になることを求めて、その楽土に足を運んで(P220)、千野の妻である京子とセックスをしたことや、マゾヒストの社長のマンションで、由香の見ている前で見知らぬ女と交わったことや、AVに自分が出演して、四人プレーに夢中になったことなんかを、つぎつぎに思い返した。それらの行為は動機はどうあれ、行なわれたこと自体は…実験という名の下に仕組まれた千野満の罠にはまって、ぼくはただ乱れたセックスに酔い痴れただけということになる。けれども、それでもぼくと由香との間の愛情はゆらぐこともなく、ぼくらは結婚の約束まで交わしている。それを考えれば、ぼくらがしたことは…、やはり真面目な愛のための苦悩に満ちた試行錯誤の一つだったのだ、とぼくは思った。その方法がただ過激であっただけなのだ。…本物の愛情は堕落なんかから生まれてくるわけない…(P240)と思うに至る物語なのだから、至ってロジカルな構造を備えているような気がした。

 筆致においては、…ペニスを押し込んでいる由香の内部の体温が、ぼくにはいつもよりうんと高くなっているように思えたし、入口近くのところでぼくを捉えている肉の環のようなものの把握力も、いつもよりは格段に強力になっていたのだ。それだけではなくて、ぼくはその肉の環のようなものが痙攣するようにしてふるえるのを、そのとき初めて感じ取った。 由香のほうのようすもいつもとは違っていた。ペニスが奥の柔らかい壁のようなところや、何かコロコロとした感触のものに押すようにして当たるたびに、由香は泣いているときのような顔をのけぞらせて狂ったような高い声を放った。浅く挿入したままで、肉の環の部分や内側のその周辺を早いテンポで突くようにすると、逆に由香は頭をもたげ、うつろな目を開いて下からぼくを見ながら、消え入りそうな声をもらすのだった。 そんなふうだったから、そのときのぼくの絶頂感はかつて味わったことがないくらいに圧倒的で記録的で記念碑的なものになった。…(P38)だとか
 …仲直りした後のぼくらのセックスシーンは、それまでのそれなりの節度と羞恥の気持ちと静穏とを少しずつ失っていって、どぎつくて破廉恥な色合いをおびはじめていた。 それをヴィデオ事件がぼくらのそれまでの性的な遠慮を荒療治的に打ち砕いた結果、と見ることもできるだろう。由香のAV出演は、ぼくと由香の性的欲望のありようをむき出しにしていくという予想外の後遺症をもたらしていたのかもしれない。 …ぼくはクンニリングスをしてやりながら彼女のアヌスにクスリ指を第二関節のところまで入れたこともある。由香はそれをことのほか歓んで夢中になり、同時に前のほうにも指を入れてほしい、と言った。 その方法で由香はオーガズムに達してしまい、ぼくはそのときの彼女のリズミカルな歓喜の痙攣が、隣接したせまい穴に挿入しているそれぞれの指に刻みつけられるようにして伝わってくるのを感じとって、とても興奮した。…(P53)
 由香の性器はすでに十分に潤んでいた。あふれ出た体液が深いクレバスの両岸を濡らしてうっすらと光っているのが、からみ合ってそこにまとわりついている陰毛をすかして見えていた。ぼくは両手で由香の腰や脇腹をさすりながら、ヒップの二つの丘に唇をつけたり離したりして、彼女のそこのうしろからの眺めを味わった。 ぼくの目の中には当然のように、その日の昼間に同じようなアングルから眺めた、京子のその部分の姿が甦っていた。…京子のヒップは年齢のせいですでに張りを失いはじめていた。そのために、伏せた姿勢で高く上げられた臀部の先端は、丸みを欠いてとがったように見えた。京子のアナルは色合いが濃くて、そのすぐ近くまで短い陰毛の列が細く延びてきていた。尻の谷間につづく大陰唇のふくらみも痩せていて、そういう姿勢をとっただけで、すでにクレバスがゆるみ、小陰唇の先が頭をのぞかせていた。…京子のそこの眺めの醜怪さが、逆にぼくの捻じまがった情欲をことさらに煽り立ててきたことも事実だった。 同じ姿勢の由香のヒップは、美しい球体をなして見事に張りつめていた。アナルの色調はまだピンク系を留めていて、あたりに延びひろがっている陰毛など一本も見られなかった。尻の谷間につづく大陰唇のふくらみも、思わず頬ずりをしたくなるくらいに愛らしく豊かにふくらんでいて、ぴたりと閉じたままのクレバスをことさらに深いものに見せているのだった。…ぼくの舌は由香のアナルのくぼみの微細な放射線状の皺のようなものから、そこの中心の点のような引き締まった凹みまでを、敏感に感じとった。…由香のアナルのくぼみはすぐに、ぼくの愛撫に応えて悶えるかのような小さなうねりとひくつきを見せはじめた。…つづいてぼくは同じ姿勢のままで、由香のワギナにそろえた両手の親指をさし入れていった。由香の声がまた乱れた。クリトリスの愛撫とアナルに舌を使うことも止めずにつづけた。由香は乳房や乳首を愛撫しつづけている僕の足の片方をつかんで引き寄せると、はげしく息を乱しながら、何かに憑かれたようなようすで指を強くしゃぶり、親指に歯を立ててきた。…由香がぼくの顔の上で果てていったときは、ぼくの心はいとしさとやさしさに満ちあふれていた。けれどもアナル性交を求めたときのぼくの心の中には、一種のサディスティックな衝動と、由香を性的に支配し、屈服させたいという独占欲がはたらいていたことは否めない。 由香はたじろぐようすも見せずに、ぼくのその求めに応じてくれた。指の場合と違って、事はいくらかの難渋を示したし、由香が息を詰めて苦痛をこらえるところも見られた。けれどもそれも形がととのうまでの短い間のことで、軀がつながれてしまうと、由香の口からもれてくる苦痛の声は消えて、甘やかな喘ぎに変わり、やがてさらにそれが熱狂の叫びに変わっていった。 ぼくのほうも、初めて知った充実と緊縮の味わいに、由香以上に熱狂した。…(P145)
といった場面の描出において、情緒的なものが排され徹底的に即物的な描き方がされているように見えても、いっさいの甘美さを剥ぎ取ってしまっている絲山秋子の作品の描出とは違って、根本のところでの性行為に対するロマンティシズムというものが濃厚に感じられるように思う。

 むしろ、この甘美こそが勝目梓のほうの核心であり、同じくスカトロ・セックスを描いても、こちらでは飲尿プレイとなり、ぼくは由香を促して立ち上がり、ベッドに移って仰向けに軀を伸ばした。由香は浴衣を脱いでからベッドに上がってきた。彼女は下着は着けていなかった。ぼくは由香の手を取って導いた。由香は膝で僕の顔をまたいできた。ぼくらは上と下で目を見交わしたままでいた。由香がもうひとつのぼくの手を取ってにぎりしめた。それから由香は腰を落としてきた。ぼくは唇と舌を使って陰毛を押し分けてから、開いた口をその部分に当てた。…ぼくにとっては切ない愛の気持ちがそれをさせたのだ。 由香の乳房がふるえるようにかすかに揺れて、口から溜めていたような息の音がもれた。そして熱いものが勢いよくぼくの口の中にほとばしってきた。ぼくは思わず取り合った手に力をこめ、喉の奥に歓喜の声をあげた。そのときのぼくの心を満たしてきたのは、由香との強い一体感だった。その思いは、セックスで由香と軀をひとつにしているとき以上に、強くて鋭くて深かった。そういう行為で愛の一体感を味わうのは変態性欲者のすることだと言われるのだったら、ぼくは誇りとよろこびをもってそれを認めたい、と思った。 注ぎこまれてくるものを、ぼくはつぎつぎに喉の奥に送り込んだ。軀の奥底に由香が入りこんできてくれる気がした。由香の命を飲んでいるような思いだった。終わることなくいつまでもそれがつづけばいいのに、とぼくは思った。 終わるとぼくはその部分を吸い、丹念に舌を動かして始末をつけた。由香が軀を下にずらして、上から胸を重ねてきた。ぼくらはそうやって静かなキスを交わした。「周二のも飲ませて……」 由香が上からぼくの顔を見つめるようにして言った。(P206)
という描出になる。改めて絲山秋子は、凄いなと思った。
by ヤマ

'12. 5.11. 祥伝社



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