『砂と霧の家』をめぐる往復書簡編集採録
映画通信」:ケイケイさん
ヤマ(管理人)


  拙掲示板書き込み No.5053(2004/11/17 16:53)から

(ケイケイさん)
 ヤマさん、こんにちは。
 日曜日に『砂と霧の家』を観てきました。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、ケイケイさん。こちらでは11/6から始まりましたが、まだ観てません。既に昼日中の1回上映が主流になってるんで、苦しいとこですね。ですが、なんとか狙ってはいるんですけどね。

(ケイケイさん)
 今年一番じゃないけど、今年観たアメリカ映画の中では一番良かったです。あちこちで感想を読むと、「演出が足りない」や「主人公の家庭の背景がわからない」など書いてあり、なるほどなぁと。私はこの作品に関しては、1を聞けば10くらい想像が働きました。だから、登場人物全てが理解できて、とても切なく苦しかったですね。これはツボに嵌る人は語れますよ(笑)。

ヤマ(管理人)
 作品の持つ触発力って、相性によって随分異なってきますからね〜。

(ケイケイさん)
 お茶屋さんとの対談向きかしら?

ヤマ(管理人)
 彼女は観てるのかな?
 それより、もし僕が観ることができたら、ケイケイさんと一つどうですかね?(笑)

(ケイケイさん)
 無事ご覧の暁は(笑)、私で良ければ是非!

ヤマ(管理人)
 じゃあ、その節は、ご連絡いたします。



*****ケイケイさんの映画日記に寄せたメール*****

差出人:間借り人 ヤマ 送信日時:2004年11月26日 18:47:44 件名:『砂と霧の家
 ケイケイさん、こんにちは。『砂と霧の家』観て、日誌を綴りました。
 ケイケイさんの映画日記を読む前、おそらく僕と同じようにベラーニ大佐の家族と家長についてお書きになっていることだろうと思っていたら、むしろキャシーの胸の内から触発された想いの数々をお書きになっていて、ちょっと意表を突かれました。
 「母の事を虚栄心の強い人だと思っていた私は、見栄っ張りもほどほどにして欲しいと思いました。しかし母が亡くなって1年経ち2年経ち、あの家は母の心の拠りどころではなかったかと、私は思い始めます。」とお書きのように、この映画を観る前に、既にしてそのような思いが去来してれば、なるほど、この映画ではキャシーから目が離せなくなりますよね。
 僕は、ベラーニ大佐の行動を卑屈な性質のものとはいささかも思わなかったので、それにも意表を突かれましたが、「人知れず肉体労働からの帰り、ホテルのトイレで背広に着替え、何食わぬ顔で妻子の元に戻り、高級ホテルでの生活を続けさせるシーンを見せられたは私は、ベラーニに「男の沽券」を感じます。昨今は男の沽券など、愚の骨頂のように扱われがちですが、私はそうは思いません。」には全く同感です。ですが、真似できません(とほ)。だから、なんでこうなっちゃってきてるんだろうな〜という思いが僕の反芻の中心になったのでした(苦笑)。
 最も感銘を受けたのは、「最後に「ここはあなたの家ですか?」と聞かれたキャシーの答えは、放心しつつも依存心の強かった彼女が、新しい心の拠りどころを見つけようと決心したように、私には思いたいです。たとえこの解釈が間違いでも、私はこの物語を悲劇では終わらせたくありません。」以下のくだりでした。解釈に間違いも正解もあるとは思いませんが、僕は自立と再出発のための思い切りと受け取る方向には思いが及ばず、受けたダメージの大きさを察したのみでした。ですから、お亡くなりになった御母堂に想いを馳せて、キャシーに自立と再出発の意志をお汲み取りになっているところが拝読して心に沁みました。
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(ケイケイさん)
 『砂と霧の家』、昨日も前にHP お知らせした友人とメールしていたのですが、彼は「ジェニファー=無自覚な魔性の女」説でした。確かにそれもわかりますね。

ヤマ(管理人)
 わかりますね〜。“無自覚な”が、ポイントですね。彼女は、悲劇が妙に嵌まる女優さんとしてレクイエム・フォー・ドリームが強烈に焼きついているんですが、肢体と涙目に魔性が宿ってますね。

(ケイケイさん)
 彼女、依存心の強い女性だったでしょう?
 私は“男性に守られて、幸せにして欲しい女性”に見えました。

ヤマ(管理人)
 僕は、ほとんどベラーニ大佐を軸に観てしまって、キャシーに深く思いを馳せずにいましたが、言われてみれば、アルコール依存症だったというのは、重要な設定だったんですね。レスターにも弁護士にも頼ってましたね、確かに。そして、家の存在にも。
 どうも僕は、自分の日誌に「こちらでも事後に交わされる会話に深味があって、特にキャシーが、自分が誘ったからそうなったのかを確かめていたのが印象深い。」と綴った部分に過剰に引っ張られてました。確かに弱い女性なんですが、むしろ「屋敷を奪われたキャシーにしても、…強い意志で困難な状況に臨み行動し、安易に妥協したり泣き寝入りしたりしないけれども、決して範を逸脱した手段に訴えたり、騙し討ちを企てたりはしない。」と綴ったように、ある種の凛々しさを汲んでたくらいです(たは)。

(ケイケイさん)
 でも、昨今“男性に守られて、幸せにして欲しい女性”なんて考えは否定されがちですけど、正しい女の生き方のひとつですよね?(笑)
 トイレで腋毛の処理をするシーンなんか、彼女の狙いはわかっているのに、すごく必死に感じられて、可哀相でした。

ヤマ(管理人)
 ここは、なかなか鋭いところですね。なるほど、そうも見えますね(感心)。僕は、流浪生活を余儀なくされても、最低限の身だしなみはきちんとしたいっていうふうに受け取っていましたね。

(ケイケイさん)
 私は、彼に味方になって欲しいというのもあるし、とにかく誰かに頼りたいと思ったと。で、レスターの職業自体は、あまり関係なかったと感じました。

ヤマ(管理人)
 そうですね。彼が警官だからという思惑は感じませんでしたね。頼れそうってのがイチバンだったと僕も思います。

(ケイケイさん)
 だから結果的に彼の家庭を壊したことに、罪悪感があるから、事後の会話になったと思いました。でも、この気持ちは責められませんよね〜。

ヤマ(管理人)
 相手の真情を確かめるというよりも、自分への弁明として、ですか。それも大いに考えられますね、僕は想起しませんでしたが。 罪悪感か、そーか、なるほどね。レスターの奥さんと面識がなくても、それを感じたりもするんでしょうかね、やっぱ。

(ケイケイさん)
 そして、夫に出て行かれた家は、豚小屋のごとくで、ろくすっぽご飯も食べていないみたいだったけど、レスターと暮し始めて、家を綺麗に整え食事を用意して男性の帰りを待つ様子に、そういう生活に幸せが見出せる人だったと思います。

ヤマ(管理人)
 なるほど“男性に守られて、幸せにして欲しい女性”と受け取ると、こういうふうに映って何の矛盾もありませんよね。でも、僕の受け取りようでは、ちょうどこれらが以下のように変わってきます。これ、なかなか面白く興味深かったです(礼)。
 まず、夫が去って荒れた家の様子については、かつてのアルコール依存症も克服し、ある種の強さを身につけた彼女でさえもとの“受けたダメージの強さを物語っている”と同時に、三年前に脱したアルコール依存症にはからくも戻ってない“頑張りと危うさの境界線上にある姿”だと思ってました。子供を望んだことで、あっけなく夫に棄てられてしまったことの衝撃の強さとして、ね。
 そして、粗末な小屋でのレスターとの暮らしについては、こちらが本来の彼女として、レスターとの出会いと家を取り戻せる“希望によって再生の手掛かりを得た姿”だと思ってましたよ(笑)。
 ね、面白いでしょ。

(ケイケイさん)
 ハイ(笑)。当ってると思いますよ。
 でも、キャシーとレスターは長続きしませんね(笑)。

ヤマ(管理人)
 ま、レスターを「家庭的なものに憧れながら、いざ対峙すると居心地の悪さを感じる」男だと見てれば、当然の帰結ですよね(笑)。んで、確かに、それっぽくはある(笑)。

(ケイケイさん)
 両方とも、結局は癒されたい、愛されたい人ですよね。そこが灰になっても妻子は守るぞみたいな、ベラーニとの違いだと思います。

ヤマ(管理人)
 あ、そーか。こっちのほうで来るんですね、対照の構図は。なるほど。
 ってことは、どっから見ても、レスターとキャシーは長続きしないわけだ(笑)。

(ケイケイさん)
 家を綺麗に整え食事を用意して男性の帰りを待つことを継続できないのは、彼女にたぶん非があるんでしょうね。

ヤマ(管理人)
 子供を望むことで愛想づかしを受けた二人の関係において、非がどっちにあるかというのは、むろん一方的なものではないにしても“ジャニファーの魔性(笑)”に幻惑されがちな男の僕としては、レスターならずとも、ついつい逃げた夫のほうに、より非があると感じてました。
 夫に捨てられ、亡父の遺産を奪われた“可哀想な”キャシーなんですよね。あは、まるでレスターのまんまですね、僕(苦笑)。

(ケイケイさん)
 また、お母さんに絶対本当の自分を見せないのは、何か確執があると思いました。

ヤマ(管理人)
 これは僕も思いましたね。
 そして、家族間でフランクになれない距離と孤独というのは、現代アメリカ人の家庭に限らず、アメリカナイズされた日本社会でも同じだというふうに感じてました。そして、イラン人のベラーニ大佐が背負っていた距離と孤独とは、同じ“距離と孤独”でも、質が全く違うことを対照させているように感じました。

(ケイケイさん)
 あー、そうですね。確かに孤独の質が違います。これは見落としていました。

ヤマ(管理人)
 ここんとこ、含蓄ありますよねー。巧い対照だと思ってました。

(ケイケイさん)
 “一人の孤独”より、“家族がいるのに孤独”のほうが、より切ないですもん。この辺は、先進国みんな共通してるんじゃないですか? 韓国もそうなりつつあるんじゃないかなぁ。在日の文化は少々別ですね。

ヤマ(管理人)
 そうなんです。先進国みんな共通してると思うんですよね。先進国っていうのは、要はアメリカナイズの進度の違いみたいなもんですから(笑)。グローバル・スタンダードってのがアメリカン・スタンダードであるのと同じようなもので(とほほ)。

(ケイケイさん)
 母娘の確執という点では、あんなか弱い女性なのに、キャシーは、母親に対してすごく意地が感じられましたもん。

ヤマ(管理人)
 そうなんですよ。弱みを見せられないんですよね、ベラーニ大佐と同じく。
 でも、質的な違いが歴然としてますよね。

(ケイケイさん)
 キャシーの両親は離婚していたのではないかと思います。アメリカの法律は知りませんが、普通は夫が亡くなったら、家の名義は妻じゃないでしょうか?

ヤマ(管理人)
 僕は、キャシーの母が家(家庭)を棄てた形の離婚だと思ってました。

(ケイケイさん)
 私もそう思いました。お兄さんはお母さんについていったのかなと。

ヤマ(管理人)
 だから、レスターのみのパーソナルな不幸な生い立ちみたいなとこでは、僕が受け取らなかったのだという気がしています。

(ケイケイさん)
 アメリカではそうかもしれないですが、妹に「ハニー」だの「ベイビー」だの、歯が浮きそうな言葉は、却って兄妹の距離を感じさせました。

ヤマ(管理人)
 そして、キャシーの母が家を出た後、元夫たるキャシーの父が亡くなったのだろう…と。レスターが、父親と同じく自分も家庭を棄てることになったと自嘲するのと対のように、キャシーの家では母親が家庭を棄てているわけです。
 つまり、性別の如何によらず、家庭と家族を維持する力に乏しいアメリカ人達っていう構図みたいなもんです。僕は、イラン人とアメリカ人の対比という図式を基本的な対照として受け止めてましたからねぇ。

(ケイケイさん)
 私も家族に対するアメリカ人とイラン人の考え方の違いは、感じました。

ヤマ(管理人)
 そのうえで、よりパーソナルなところに思いが触発されたってことなんですね。

(ケイケイさん)
 そんななか、キャシーの数少ない言葉から、父親を慕う気持ちが溢れていましたし、お母さんへの思いとは全く違ってます。

ヤマ(管理人)
 これは同感ですね。母に棄てられ、二人で家(家庭じゃなく)を守ってきた相棒としても、彼女にとって父親の存在は、非常に大きかったでしょうね。

(ケイケイさん)
 でも、レスターとの関係を考えると、父親ではない男性に父親を求めていたら、上手くは行きませんよね。結婚して年月がたったら、夫はむしろ妻の子供になってしまいますもん(笑)。

ヤマ(管理人)
 確かにキャシーにファザコン的な部分は感じ取りながらも、僕は不思議とレスターとの関係にその投影をあまり意識してませんでした。

(ケイケイさん)
 私は結構感じました。彼の帰りが待てなくて、絶望的になって、発作的に自殺を図るところなんて、置いていかれた小さな子供のような感じがしました。

ヤマ(管理人)
 なるほど。それはそうかもなー。
 単に弱り切って追い込まれていた窮状の程ってことではないのかも。

(ケイケイさん)
 子供って自分が一番親に愛されていなければ、我慢ならないでしょう?
 キャシーは自分の立場が分っているので、レスターに対しての恨みはないでしょうが。

ヤマ(管理人)
 それよりも彼ら二人については、日誌に「孤独と不安の埋め合わせを図るかのように求め合う」と綴ったように、相身互いという受け止め方をしてましたよ。
 ここもケイケイさんの解釈に意表を突かれて、僕にとっては非常に面白く感じられたところでした。

(ケイケイさん)
 男性に父親を求めて得られなかったキャシーは、どんどん自分の夢から離れた生活になって、今度はお酒に依存。

ヤマ(管理人)
 夫に棄てられたのは八ヶ月前で、アルコール依存症を克服して酒を断ったのは、三年前じゃありませんでしたっけ? それとも、ここでおっしゃってる「今度は」というのは、自殺未遂の前に立て続けにあおった小瓶の強い酒のこと?

(ケイケイさん)
 いや、私はね、冒頭の豚小屋シーンとお母さんの「リハビリは進んでいるの?」の言葉に、酒を断って3年は嘘やなと(笑)。

ヤマ(管理人)
 なるほど、なるほど。これは、こっちのほうが当たってそうだな(苦笑)。
 ふーむ、とすると、僕の感じてたキャシーの強さというのは相当減じなきゃ(とほ)。

(ケイケイさん)
 ちょっと前に、読売新聞で募集していた「ウーマンズビート」という、実話手記の今年の大賞が、「溺れる人」というアルコール依存症になった女性の手記だったんですよ。全部読みましたが、お酒を断ったと思ったらまた戻って、行ったり来たりが相当長く続くんですよ。よく映画で描かれる幻覚は、末期的症状なので、相当進まないと見えないみたい(笑)。

ヤマ(管理人)
 ええ、このへんのとこは、僕もまるで知らないわけではないですよ。克服したと思っても、また戻るってのは。でも、結局戻るにしても、一旦はやっぱり克服なんですよね。だからこそ、戻ってしまうことで受けるダメージが大きくて、その繰り返しがますます苛んでいくもののようですから。

(ケイケイさん)
 キャシーがレスターに語った離婚の理由は、理由の一つであっても、本当の理由ではないと思ったんです。何故夫が子供がいらないと思ったかというのは、キャシーは母親になれない人だと、夫は感じたのかと。キャシーの一連の行動は、エキセントリックですよね。いっしょに暮すとやはり疲れると思いますよ。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。僕はそのへんをみ〜んな家を奪われた衝撃の強さで済ませてましたが、パーソナリティとしてのエキセントリックさですか。これはあまり考えていませんでしたね。

(ケイケイさん)
 彼女を支えるのに、夫は疲れたと想像しました。もちろん想像ですよ(笑)。

ヤマ(管理人)
 ええ、触発される思いの有りようは、観る側の自由裁量ですよね。解釈に唯一絶対の正解などあるはずもないと僕は思ってますもん。

(ケイケイさん)
 でも、彼女の想いとしての子供云々の件は、私は本当だったと思います。母になることで、自分を変えようと思ったのじゃないかなぁ。

ヤマ(管理人)
 そうですね。僕も本当に欲しがったのだと思います。でも、自分を変えようとしてっていうのではなく、アルコールを断って二年あまりを経て、ようやく自信を得始めたからだと思いましたが(あは)。

(ケイケイさん)
 この辺は『カーサ・エスペランサ、赤ちゃんの家』でも、“母になることで、自分を変えよう”という同じような思いを私は感じました。

ヤマ(管理人)
 この作品は未見ですが、タイトルからしてそんな感じですね〜。

(ケイケイさん)
 女性にとって子供を産むのは、母性愛を含めて最後の砦ですから。

ヤマ(管理人)
 最後の砦というよりも、女性において最も確かな手応えと自信の得られる特権としてって感じですねぇ、僕にとっては(笑)。

(ケイケイさん)
 でも、私は、キャシーは好きですねぇ。

ヤマ(管理人)
 ええ、ええ、そうりゃあもう僕など、上にも書いたように、ほとんどレスター状態でしたからね(たは)。

(ケイケイさん)
 と、かように想像(妄想・笑)が膨らまないと、説明不足で切り捨てられてしまう作品なのは、理解できます。でも、ヤマさんは膨らんだみたいなので(笑)、感想を楽しみにしてたんです。

ヤマ(管理人)
 僕のほうの妄想は、如何でしたか?(笑)

(ケイケイさん)
 とても堪能させていただきました(笑)。

ヤマ(管理人)
 互いの違いと共通点が微妙にクロスして面白かったんじゃないですか?

(ケイケイさん)
 微妙に違うところなんか、男女や夫と妻の立場の違いで見え方が違うなぁと、面白かったです。

ヤマ(管理人)
 ええ、僕もここんとこが非常に面白かったですね。

(ケイケイさん)
 奥様と御一緒にご覧になれば良かったのに。

ヤマ(管理人)
 時々一緒に観にも行くんですけどね。

(ケイケイさん)
 あとで語り合えるじゃないですか。私の後ろの御夫婦は、盛んに感想を言いあっておられました。うちの主人は、絶対無理ですね。こんな辛気臭い映画に連れて来てって、絶対怒りますわ(笑)。

ヤマ(管理人)
 うちの場合は、そんなことは言わないと思いますが、映画の後で感想を語り合うことが 苦手のようで、言葉にするより内に味わいたいようですね(笑)。
 話は戻りますが、この作品、僕は説明不足だなんてまるで感じてなくて、妄想が膨らまないと、どころか、触発力に富んだ見事な作品だと思ってましたよ。世評では説明不足ってことで切り捨てられてるような作品なんですか?

(ケイケイさん)
 結構そうみたいですよ。好事家向き作品みたいですね(笑)。

ヤマ(管理人)
 あらま(笑)。
 確かにヒットはしてないみたいなんですが、僕にとっては、通常における最高ランクの作品でしたよ。「A中」に分類してますから(僕は鑑賞作品をABC×上中下の9ランクで整理してるんですが、普段、A上とC下は用いませんので、ね。)。

(ケイケイさん)
 私もベスト5には入りますね。どんどん落ちていくミスティック・リバー(笑)。
 『ミスリバ』は、観たあと、もう今年は何も観なくていいと思うほど感激したんですけど、何でこんなに落ちていくんでしょう? 完成され過ぎてたのか?

ヤマ(管理人)
 去る者は日々疎しって言いますからね(笑)。もう歳末ですし、年頭に観た作品の印象が薄れていくのは、通常のことかも。


*****今度は拙日誌に寄せて*****

(ケイケイさん)
 でもって、ヤマさんの『砂と霧の家』の感想なんですが、今まで読んだヤマさんの感想の中で、一番好きですかもですねー。

ヤマ(管理人)
 そうですか、それはどうもありがとう〜。

(ケイケイさん)
 なんと言うか、この人たちを観る目に愛が感じられます。

ヤマ(管理人)
 僕は、それは映画の作り手の視線だったように感じたんですけどね(笑)。

(ケイケイさん)
 あー、そっか。それが観る者に通じたと。そういえば私の感想も、愛に溢れていますもんね。(笑)

ヤマ(管理人)
 そうですよ。ご家族に想いを馳せさせる作品だったわけですから。

(ケイケイさん)
強い意志で困難な状況に臨み行動し、安易に妥協したり泣き寝入りしたりしないけれども、決して範を逸脱した手段に訴えたり、騙し討ちを企てたりはしない。それだけに哀しみがひとしお増してくる人物像の奧行きが実に見事な悲劇だったように思う。
 ここはそうですよね。自分がきっとしてしまいそうな行動なんです。だから登場人物に心が寄り添うんですね。

ヤマ(管理人)
 そうそう。どっちもが我を通しているように見えるのに、突き放しては見られない寄り添いが心の内に生じてきました。境遇も体験も、まるで自分と共通するところのない人たちなのにねー。

(ケイケイさん)
 言われてみればそうなんですが、見落としていました。

キャシーの恋人となった警官であるレスター(ロン・エルダード)は、…彼女と恋人関係にあるが故に自身の利得なしとまでは言えないけれども、自己都合のためだけにそうするわけではないことを偲ばせる“DVを繰り返す者の不当逮捕”のエピソードを添えていることが効いている。
 レスターの不当逮捕の件は、気持ちはわかるけど、それはあかんやろとは思いました(笑)。

ヤマ(管理人)
 ええ、僕も拙日誌に「公権力の行使に携わる者にありがちな欠陥」と書いたのですが、まさしくこういうとこが権力を持つ者の“欠陥”だと思いますね。

(ケイケイさん)
 のちにキャシーに「自分を捨てた父親といっしょのことをしている。」と語った言葉で、もしかしたら、彼と母親は父親の暴力にあっていたのかと思ったんです。

ヤマ(管理人)
 なるほど。それは僕は考えつきませんでしたが、いかにも、ですね。

(ケイケイさん)
 キャシーがベラーニにつかまれてできたアザを見て、訴えるとも言ってましたよね?

ヤマ(管理人)
 確かに。そうでした、そうでした。

(ケイケイさん)
 だからDVに対しては、ヤマさんが書いておられるように、優秀で真面目が彼が、冷静でいられないのかなあと思いました。

ヤマ(管理人)
 そう見るのがよさげだなぁ。賛同します(笑)。

(ケイケイさん)
中東からの亡命資産家に対する偏見と差別が潜んでいることが浮かび上がるようになっていた気がする。
 これはベラーニ家や中東の人に対する偏見を、レスターを通して表していたんでしょうか?

ヤマ(管理人)
 僕は、そう受け止めましたよ。

(ケイケイさん)
イランから亡命してきたベラーニ大佐の人物造形が素晴らしく、誇り高く静かな威厳を備えた家長をベン・キングスレーが見事に体現していた。」以下の感想、ベラーニに心酔しておいでなんですね(笑)。

ヤマ(管理人)
 とても真似できませんし(たは)。

(ケイケイさん)
 立派な家長でしたよね。わかります。中年のご主人様がたはきっと共感できる人と思います。仰るように、肉体労働やコンビニで働く姿に、私も惨めさより「家族を養う義務を大黒柱として立派に果たす」、そんな威厳のほうを感じました。

ヤマ(管理人)
 ですよね。キャシー、レスター、レスターの上司や弁護士、いずれに対してであれ、彼には常に威厳が備わっていたように思いました。差別に屈していない品格がありましたね。

(ケイケイさん)
 妻に自分の仕事を言えないのは、沽券だけではなく、やっぱり奥さんが怖いかなとも、ちょっと感じました。自分に対する信頼は、亡命で失墜していますよね? きっとナディアもいいところの出だと思うんですよ。あなたのためにこんな苦労をして、みたいな事も言われているはずですし。

ヤマ(管理人)
 同感です。台詞などでも窺えましたし、僕もそう感じてました。

(ケイケイさん)
 これはナディアが妻としてダメというのではなく、苦労知らずで生きてきた人って、心は綺麗ですけど打たれ弱いですよね。

ヤマ(管理人)
 そうそう。まさしくそういう感じなんですよ。イノセントなんですよね。怪我したキャシーのエピソードは、そういう面からも大事な場面ですよね。

(ケイケイさん)
 そうそう! あれは何気ないけど、あの奥さんという人をよく表していましたよね。順番も良かったです。夫にたてついて、わからずやの妻という印象を与えた後ですもんね。

ヤマ(管理人)
 そのとおりですね。あ、わからずやってことじゃないんだ、ベラーニがそうしてやってるんだ、だから憤慨を飲み込むんだってね。

(ケイケイさん)
 セリフでああだこうだと説明するのじゃなくて、これが演出力だと思いました。

ヤマ(管理人)
 台詞で説明されちゃうと「気づき」の楽しみを削がれますからね。

(ケイケイさん)
 当るんなら夫だろうし、そういうのはかわしたかったと思います。結婚歴が長い夫婦は、旦那さん皆、奥さんが世界中で一番怖いでしょう?

ヤマ(管理人)
 ベラーニにしても、怖いっていうのとは、ちょっと違ってるとは思うんですが、奥さんというのが重要な意味と位置を占める人物であることは、間違いありませんね(笑)。

(ケイケイさん)
 うちは怖がってますよ(笑)。ヤマさんは如何ですか?(^^)

ヤマ(管理人)
 怖れているつもりはないんですが、尊重はしてるつもりです。けっこう僕が好き勝手してるってことも手伝って、尚のこと(笑)。

(ケイケイさん)
 いいですね、奥様が羨ましいわ。うちは大事には思ってくれていますが、私の人間としての成長なんて、全然気にかけてくれてませんよ。私の保護者と息子を、行ったり来たりしています(笑)。ただ若く結婚して(21歳)、本当に20年間は家事と育児と仕事だけで、家庭に身を捧げてましたから(笑)ちょっと羽を伸ばすのは協力的です。

ヤマ(管理人)
 うちも結婚したとき、妻は22歳でした。その年のうちに長男を出産してますから、今写真を見ると 子供が子供を抱いているような風情で(苦笑)。僕も24歳でしたから大きなこと言えませんけどね(笑)。

(ケイケイさん)
謝罪と感謝を示すかのように、恐らくは久しぶりのことであろうと思われる寝所への誘いを掛ける。事後にベラーニ大佐が大きく息を吐き出すように「幸せだ」と呟く場面が心に沁みた。全ての奮闘や痩せ我慢が報われるような幸福感というのは、夫として家長として、妻が認め身体で応えて癒してくれるひとときにあるものだと改めて思う。夫婦の和合というものは、かくありたいものだとしみじみ感じた。
 この件は私は大変感激しました。ヤマさん、奥様を大切に思ってらっしゃるんですね。というか、夫婦の有り方にきちんと心を配っていらっしゃる。

ヤマ(管理人)
 まぁ、いちおう家庭というものの基盤は、やはり夫婦ですから、家庭内での心の持ちようには、相互に敬愛というものが必要だろうと思ってます。僕が何かにと外に出回り、けっこう好き勝手してきてるってのも作用してるんでしょうね(苦笑)。

(ケイケイさん)
 うちも思ってたんですかね〜。全然伝わってませんけど(笑)。

ヤマ(管理人)
 今、チビちゃん除いて、子供の手が概ね離れて羽のばしに協力的というのは、まさにそういうことなんじゃないですか?

(ケイケイさん)
 うちはもう51ですから、やっぱりちょっと感覚的には古い夫の価値観ですね。ギャンブルや女遊びではなし、真面目に働いて家族を養っているのだから、何が悪いって思ってたんでしょうね。辞めてからは、極力夫婦の時間を作るようにして、今埋め合わせしてもらってます。(笑)

ヤマ(管理人)
 そうなさるのは、それまでの時期に対しての思いがあったからでしょう。僕は、まとめて埋め合わせるだけの力量もないので、小出しなんですが(笑)。

(ケイケイさん)
 それにしても、こんな素直で素敵な夫婦の営みについての、男性の感想は、初めて読みました。映画のシーンより、ヤマさんの感想が美しいと思いましたよ(笑)。

ヤマ(管理人)
 それは些か恐縮ですな(笑)。でもね、ケイケイさんが初めて読んだとおっしゃる「こんな素直で素敵な夫婦の営みについての、男性の」という部分は、それほどに希有なものではないはずなんですが、…

(ケイケイさん)
 そうなんですか? 私は小説でも、夫婦の心の絆を表すような性描写は読んだ記憶がないなぁ。もっと本も読まなくちゃ。

ヤマ(管理人)
 希有なものではないはずというのは、「描かれたものとして」ということではなく、「夫の側が抱く心情として」ということです。「描かれたものとして」は、小説でも映画でも、確かに描かれることは少ないですよね。わりあい表現することが躊躇われたり、憚られたりしがちなところであって、それだけに僕も非常に新鮮な気分であのシーンを観たんですよ。こういう部分が率直に素直に描かれたことってあまり見覚えがないなぁって。だから、非常に強く印象に残ったのでした。

(ケイケイさん)
 私も同感です。どうしても若い人か、中年以降は不倫になりますね(笑)。すごく精神的な美しさを感じました。

ヤマ(管理人)
 だから「あまり見覚えがないなぁ」ってしみじみ感じ入ったんですよ。不倫のセックスには不倫のセックスの眩しさも羨望も感じますけどね(笑)。婚外だろうが婚内だろうが、精神的な美しさも宿っているものがいいですよね。

(ケイケイさん)
 キャシーとレスター、ベラーニ夫婦の交互の場面は良かったですよね。

ヤマ(管理人)
 ええ、ひとくちにセックスって言っても、違うんですよね〜。しかも、どっちが良い悪いを言ってるんではなくて、あくまで違うものとして、どっちもがいいものであることを鮮やかに印象づけてくれ、僕にとっては、含蓄に富んだ編集でしたね。

(ケイケイさん)
 セックスシーンで裸が出てきても、心の充足感、孤独を癒すというのがきちんと表現されていましたもん。綺麗なシーンでした。ジェニファー・コネリーは、相変わらずスタイルいいですよね。

ヤマ(管理人)
 ほんとに。垂涎ものです(笑)。僕としては露出度上げて、もっと目を楽しませてほしかったくらいです。

(ケイケイさん)
 モデル体型ではなく、ボリューム感もあるし。子供二人の母なんて信じられない。

ヤマ(管理人)
 そうなんですか、お子さん二人いるんですか。

(ケイケイさん)
 確か上の子はシングルマザーで生んで、次の子は正式に結婚したポール・ペタニーとの間の子じゃなかったかな?

ヤマ(管理人)
 僕は、そういう方面の知識が非常に乏しいんですが、おー『ドッグヴィル』のペタニーか、羨ましいこっちゃ(笑)。

(ケイケイさん)
思い返せば、対照的な形で二人の家長が配置されていたようにも思う。
他方には、妻子に拠り所をどうしても得られない空虚と孤独から逃れられない様子が窺えた。
 レスターなんですが、彼の生い立ちは家庭の愛に恵まれていませんね。ここなんですが、こういう男性は、家庭的なものに憧れながら、いざ対峙すると居心地の悪さを感じるんじゃないでしょうか?

ヤマ(管理人)
 ここは、やはりパーソナルな側面が強かったんでしょうかね。僕は、もっとアメリカの社会文化みたいなところで感じてたのですが、レスター家のDVに思いが及んでおいでなら、よりパーソナルなニュアンスを強くお認めになるだろうなというのは、納得ですね。

(ケイケイさん)
 実はうちの父親がそうなんです。7歳の時に両親とも亡くなり、祖母に育てられ、15才の時に日本に来て父親の弟を頼ったら、お妾さんと別宅に住んでいるのに、父を子沢山の本妻に預けたんですよ。相当虐められたらしいです。だから家庭というのは知らないんです。いつも暖かい家庭を求めていたはずなのに、結婚は4回です(笑)。私の母と一番長く、25年ほど続きました。3番目の妻でした。いっしょに育った腹違いの兄二人は母が育てましたが、今思うと母は継子いじめしていましたね。この兄が二人ともやっぱり離婚を経験しているんです。親と同じことをしてしまうんですよ、子供って。いい所は似てくれないのに(笑)。ああはなるまいと思う気持ちと、同じことをするのでは? という危惧は、紙一重の葛藤だと思います。

ヤマ(管理人)
 DVよりも、もっと複雑な諸事情をお抱えになった肉親をお持ちでしたら、尚のこと、社会文化的な受け止め方より、パーソナルな部分への視線が優先されますね。僕は、幸いなことに親兄弟を見て「ああはなるまいと思う気持ちと、同じことをするのでは?という危惧」というほどの強迫度の高い葛藤は持っていません。まぁ、自分の好まない諸々の部分というのは、肉親に対して細々いろいろ、あるものではありますが(笑)。

(ケイケイさん)
 それにレスターの奥さんって、彼の言葉では完璧な妻でしたよね? スキがないというのは、彼のような人は追い詰められる気がしたのかなぁと思いました。

ヤマ(管理人)
 追い詰められるってことより、必要性とか存在感としての手応えなんでしょうね。彼の言葉では「母親」「幼い頃からの親友」としての賞賛のみで、「妻」としても「女」としても、彼は賞賛してませんでした。

(ケイケイさん)
 そうでしたね! ウンウン、女としては魅力がなかったって事ですかね。魅力がないというより、女として観られなくなったってことでしょうか?

ヤマ(管理人)
 結婚してから、女→妻→母って移行しちゃう女性って少なくないんじゃないでしょうかね。女+妻+母って加算型だとそうはならないんじゃないかって思うんですけど。いつまでも女としての可愛らしさを保っていてくれれば、女として観なくなるって事はないと思いますよ、まぎれもなく女なんだし。

(ケイケイさん)
 レスターのとこは、年齢的にちょっと早すぎですね。結局早くに男と女でなくなる夫婦が、ダメになっていくんでしょうね。うちの病院でも、70代以上の御夫婦が多いですが、奥様や御主人を、綺麗だ男前だと褒めると、すごく喜びはるんですよ。若い人と変わらないような思いを、連れ合いに持ってはるところは円満ですね。

ヤマ(管理人)
 当然の摂理ですよね。また、夫に非難をさせないところが、彼の妻の隙のなさではあるのでしょうが、そのことが彼を追い詰めたというよりも、夫としての居場所を感じられずにいたのでは? と思っています。

(ケイケイさん)
 それでスキだらけで可哀相な(笑)キャシーにのめり込んだのかと。
 決して美貌だけではないと思いました。

ヤマ(管理人)
 そうなんですよ。自分という“存在の甲斐”を彼女といると感じられたんでしょうね。
 レスターもベラーニ大佐も、そういうところでは同じで、甲斐が必要な男たちです。レスターが仕事熱心なのも、それゆえなんでしょう。ベラーニは今や家族を守ることが甲斐の全てでしたし、ね。

(ケイケイさん)
 ふーん、これは女性から見ても、古典的な男性の思考のように感じます。守ってあげたい、この人は自分がいなきゃダメなんだと言うことで、いいんですね?

ヤマ(管理人)
 そうそう(笑)。  ただ「自分がいなきゃダメ」みたいな感じは、僕には、むしろ女性的表現のようにも思えます。つまり、ある意味、自己完結しているというか、自認としての思い込みでも場合によっては有効になりますよね。しかし、役割を果たしているってな自己充足感だけでは、男はダメで、相手からそれを手応えとして返してもらえないとダメなんでしょうね。
 興味深いのは、仕事に対してと異性関係に対してで、妙に男女間でちょうどその感覚が入れ替わっているような気がするんですよね(笑)。男は、仕事に対しては、わりあい自己完結的に臨めて、むしろ女性のほうが他者から返ってくるものに囚われがちです。ところが、異性関係では、男が女の反応を気にするほどに、女は男の反応をあまり気にしてないようなイメージがありますね。ちょうどセックスの最中の状態そのままに(笑)。ま、もちろん個人差ありますけど。

(ケイケイさん)
 そうか、ちょっとくらい女は抜けているほうが良いのですね(笑)。私みたいな抜けまくりもダメでしょうが。(笑)

ヤマ(管理人)
 抜けてる抜けてないではなくて、「反応」ですよ。感度のいいほうが好まれます(笑)。

(ケイケイさん)
戦後半世紀以上に渡って何処までもアメリカナイズしてきている日本に住む僕が、この映画に描かれたイラン人家族のありようの全てを丸ごと真似することも肯定することも、既にできなくなっていることを痛感しつつも、家長の美学に眩しさを禁じ得ないでいることも自覚させられ、少なからぬ葛藤を触発されたように思う。
 うちはベラーニ一家と基本的には似たような家ですね。もっと下世話ですが(笑)。

ヤマ(管理人)
 たいした旦那様ですね。

(ケイケイさん)
 頑張れ日本のお父さん!(笑)

ヤマ(管理人)
 このへんが実に葛藤の種なんですよね。
 日本も昔は家長制が強固でしたが、僕なんかの個人的感覚からは、やっぱりそれは解体されるべきものだったように思うんですよね。で、家庭の有り様というものは、もっと開放的で対等な部分が多くなければならないと、それは今でもそう思ってるんですよ。庇護者としての義務と権力と責任を家長に負わせるのではなく、家族の構成員が応分の負担と権限を有し、応分のなかで対等に協力しあって経営していくものが家庭だろうと(笑)。
 ですから、ヒロイックではあっても、ベラーニのスタイルを以て「全てを丸ごと真似することも肯定することも、既にできなくなっていることを痛感」するわけで、それでいて、「家長の美学に眩しさを禁じ得ないでいることも自覚させられ」るところが、まさしく僕にとっての葛藤なんですよね(笑)。

(ケイケイさん)
 この葛藤についてのお話、とても興味深く拝読しました。

ヤマ(管理人)
 恐れ入ります(笑)。

(ケイケイさん)
 ヤマさんの葛藤って、今の日本の家庭の在り方を真剣に考えている方は、共通した思いなんじゃないでしょうか?

ヤマ(管理人)
 そうだと思いますよ。多くの夫・父親が感じてると思いますね。

(ケイケイさん)
 悪しき部分は排他したいけど、本当にそう思っている部分は悪しきことなのか?みたいな。

ヤマ(管理人)
 悪しき部分は確実にあるとは思うんですよ。でも、全部が悪しきことでは決してないし、むしろ美しきものがある。でも、いいとこ取りは出来ないんじゃないかってことですね。

(ケイケイさん)
 お子さん達はどう思っていらっしゃいます?

ヤマ(管理人)
 あまりそんな話したことないなー。

(ケイケイさん)
 うちはこの前もそういう話をしたんですが、長男なんて絶対家長制度支持なんです。自分が父親を絶対上にして物事を進める家庭に育って、良かったって言うんです。

ヤマ(管理人)
 うちも結局のところ、妻がそういうふうに組み上げたから傾向的にはそうなっちゃってるとこありましたが、子供が大きくなってきてからは、その傾向を緩和してきててけっこう巧妙というか、家庭経営的には感心してるとこありますね(笑)。前にも言った、成人してる長男がバイトで稼いだ自分のカネで車を買うのでも、僕の承認を得る手続きを踏んだりするのは、そういうことなんでしょうね。

(ケイケイさん)
 うちの長男は、父親を絶対上にして物事を進める家庭に育ったほうが、社会に出てからギャップが少ないし、家庭が円滑に機能すると言うんですよ(笑)。

ヤマ(管理人)
 これはあまり意識したことなかったけど、そうかもしれませんね(笑)。

(ケイケイさん)
 「もちろん、まともな親という条件やで。」と言ってますが。
 夏に長男が出張中に主人の誕生日だったんですよ。それでメールで「今晩はおとうさんに電話しなさいよ。」と連絡したんです。当然忘れてました(笑)。電話を受けた主人は、「俺の育て方は間違ってなかった」って喜んでいました(笑)。

ヤマ(管理人)
 僕も何度か誕生日に子供から何か貰ったり、メールを受けたことがあります。でも、ケイケイさんとこと同じように、必ずそれは妻の指図があってのことでしたが(笑)。
 三人の子どもたちがバラバラになってからは、相互にはバースデーメール送ったり、受験に際しての激励メールとかは指図なしにやってるようです。よく兄弟仲よすぎ、家族仲よすぎ、とかって友達から言われると、子供三人ともに言ってましたね。家族五人でトランプして遊ぶことを子供が小さい時分に始めたのは僕でしたが、それが妻の何よりの楽しみとなって、そこそこ子どもらが大きくなっても、半分は彼女を喜ばせるために、皆続けてますからね(笑)。今でも年末の子供の帰省の楽しみは、彼女にとってそれでして甘栗とスルメ、構えてますよ(笑)。僕は一応稼ぎ手ですし、知識にしたって学歴にしたって妻を大きく上回っているものだから、子供からすれば、父親をエライとか大したものだと思うのは易い話なのですが、僕は子供が中高生くらいになってからは、ホントは一番エライのは母さんだぞってことを得意の能書きと共にけっこう言ってて、だからトランプはやめちゃいかんのだと(笑)。
 高校時分に次男が飽きてた時期がありましたが、僕がたしなめましたよ。ちゃんと従ったのは、感心でしたね。

(ケイケイさん)
 私はねー、無条件というわけには行きませんが、ベラーニ家支持です。うちの辺りは下町で、所謂ブルーカラーの街ですが、お母さんたちは夫を立てている人が多いですね。

ヤマ(管理人)
 基本にそれがあることは必要なのでしょうが、それが絶対的なものとなっても、また少し違うような気がしているんですよね(笑)。ほどほど加減というのは、何においてもむずかしいものなのですが、ベラーニをベラーニのような形にまで追い込むありようを肯定しきれないながらも眩しく観ておりました(笑)。そこんとこが葛藤でしたね。

(ケイケイさん)
 どうも長々お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

ヤマ(管理人)
 こちらこそ、です。

(ケイケイさん)
 家庭について、男性とお話する機会なんてありませんので、すごく勉強になりました(笑)。

ヤマ(管理人)
 恐れ入ります。僕も興味深く伺いました(礼)。子どもたちとは、妻のことについてそういうふうに話したことは何度もありますが、父親のことについては、僕は話をしてないですね。ケイケイさんと同じように、きっと妻は話しているのでしょうけどね。家庭経営をどうするかについては、むかしは、妻とも時々話したものですが、さすがに久しくそういうことはしてませんね。もう一緒になって二十二年になりますし(笑)。
 あ、でも、最近、来年からは二人だけに戻るよねってこの間、言ってたよ〜な(笑)。もっと取り合えってことなのかな、羽伸ばすぞ〜ってことなのかな、訊いてみなきゃ(笑)。
by ヤマ(編集採録)



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