『警察日記』
監督 久松 静児


 昭和30年の作品なれば、僕が生まれるまだ前、今から半世紀近く前のものだ。戦後十年、自由党と民主党が保守合同を果たし、55年体制と呼ばれるその後の日本の安定化とも固定化とも言える枠組みができあがった年の映画でもある。その自民党政権のなかで経済復興を果たし、高度成長により経済大国となった日本という国が、そして日本人が、いかに大きく変わったのか、こういう映画を観るとしみじみと考えさせられる。

 冒頭のシーン一つとっても、花嫁がバスに乗って式場である寺に向かうなんてことは今はないし、紋付きを着た父親が同乗していて一升瓶片手に湯飲み酒をやりながら、めでたい酒なんだからと運転手に勧めると、断りつつも最後には「じゃあ一杯だけ」って調子になる。バスがゆく道は、当然ながら未舗装で、土埃が舞う。その当時でも実際にそういうことがしばしばあったわけではなかろうが、そういうことがあってもおかしくはない長閑かな空気というものは確かにあったのだろう。

 駐在所ではなく、町の警察署であっても、そこに舞い込む犯罪は大半が貧困の窮状に耐えかねて、止むなく犯した窃盗や無銭飲食、捨て子であって、取り調べの警察官たちも犯罪捜査という側面より、福祉事務所の相談員やケースワーカーのような趣きである。少なくとも欲に駆られた悪辣さや病的な不気味さというものとはおよそ無縁で、とてつもなく貧困ではあるものの実に健全なのだ。極論すれば、このふたつの部分こそがこの半世紀の間の発展によって大きく変化したのだろう。

 しかしながら、営々として未だ一向に変わらず続いているものもあって、それがお偉いさんたちのいい気な痴れ者ぶりだ。この田舎町出身の丸尾通産大臣(稲葉義男)の帰郷にまつわる顛末や大臣自身のいい気さ加減は際立っていたし、警察署長(三島雅夫)は、現場の巡査たちがどういう事案に苦労しているのかもさっぱり知らずに、吉井巡査(森繁久弥)に捨て子の世話を頼まれた料亭の内儀(沢村貞子)から知らされる始末で、日頃は専ら新米巡査(宍戸錠)がおもり役を押し付けられる形で自慢の剣道に汗を流しているだけ。花川巡査(三国連太郎)が身売りを覚悟したアヤ(岩崎加根子)をなんとか救ってやりたいと悩んでいるときも、赤沼主任(十朱久雄)と一緒になって、もぐりの周旋業者モヨ(杉村春子)の書類送検をどっちがするかで労働基準監督署と火花を散らしている縄張り争いのほうが大事なわけだ。

 しかし、この署長をまるで悪役として描いていないところが却って痛烈で見事だ。ある種の隔絶というかディスタンスを描いていて何とも哀しく感じられたのは、職がなく家出した夫とその出奔で路頭に迷った妻子がそれぞれ別件で挙げられ、警察署で再会し、金子主任(織田正雄)に諭され、再び家族でやり直そうとする餞に署長がポケットマネーを差し出す場面だった。同じ金額であっても双方における重みの違いが歴然としているなかで、繰り返し頭を下げる一家とそれを観て満足気な笑みを湛える署長の姿に投影されているディスタンスには測り知れないものがある。偽善だとか、どっちの責か、といった善悪の話ではなく、同じ人間でありながら、それほどに隔絶したところで生きている者が、同じ場に居合わせていることやその隔絶を当然のことのように、いささかの屈託もなく了解し合っていることに対する割り切れなさだったような気がする。

 ことにこの母子(千石規子・香川義久)が無銭飲食に際しても、子供にだけ食べさせて自分は食べずにいる姿に、今時の「毒を食らわば皿まで」的な貧すりゃ貪する卑しさが微塵も窺えないだけに、割り切れなさの残すものには痛烈さがある。署長が彼らに差し出した金と花川巡査がアヤに渡した金では、重みも質も異なることを明瞭に描き分けながら、どちらも結局、根本的な彼らの救済にはおよそ繋がらないことを示してもいた。基本的にはユーモアを湛えた人情物語なのだが、色付いたモミジ葉とともに花川巡査に金を返送してきたラストが、貧困の解消が社会問題であることを、当時は雄弁に語っていたのだと思う。

 それにしても、行政の機能分化により警察が地域の世話役的な機能を果たさなくなって警察組織が失ったものは測り知れないという感慨を抱いた。福祉業務に携わる公務員を警察官にしていたら、日本の地域社会は今とは随分と違った顔を見せていたのではないかと当時の警察日記のありさまを観ていて思った。
by ヤマ

'01.10.27. 平和資料館・草の家



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