国語辞典で調べる日本語のアクセント



まず、日本語のアクセントの話をしよう。アクセントはルールがあり、このルールは非常に明確で、面白いので、言語学に興味を持っていただくには、アクセントのルールの話をするのがいいのではないかと思ったからである。


1.アクセントの仕組みの分類


アクセントは、位置の観点から大きく分けると2種類ある。自由アクセントと固定アクセントである。 まず、自由アクセントとは、語の中でアクセントが動くアクセント体系を指す。《はし》と言う場合、橋・端・箸などでアクセントは異なる。この点で日本語は自由アクセントの言語と言っていい。日本語では、語のどこにアクセントがあるかは、個別に考えなくてはならないわけだ。(自由といっても、個々人が自由にアクセント位置を決めているわけではない。一定の制限・ルールは存在する。) 他方、固定アクセントとは、語の中の一定の位置に常にアクセントがおかれる体系を指す。チェコ語やフィンランド語は常に語頭にアクセントがある点で、固定アクセントの言語だと言える。

次に、アクセントを性質から二分してみよう。

まず1つ目に、高低アクセントがある。
ピッチ・アクセントともいうが、これは語の音それぞれに高か低かの指定があるアクセント体系のことだ。
そして高低が切り替わる点を特にアクセントの位置と呼ぶ。
日本語は高低アクセントの体系を持つ。

もうひとつは、強弱アクセントだ。
これはストレス・アクセントとも言う。このタイプの言語の代表例は、英語だろう。語の中のどこかを強く発音するのである。「強く」というのはさまざまな要素が一緒になって形成される。すなわち、音量が大きく、ピッチは高く、長めに発音し、呼気の量は多い。

以上がアクセントの仕組みの分類である。
日本語は、自由・高低アクセントの体系を採用していると言っていいだろう。

次に日本語独自のアクセントのルールを説明しよう。


2.日本語アクセントのルール


日本語は高低アクセントの言語なので、高低が切り替わるところがアクセントの位置である。
しかしそれよりも、語を構成するそれぞれの音に高か低かの指定(ピッチの指定)を与えてみよう。

たとえば、
言語学(げんごがく)は、5拍でカウントできる語であり、経験的には低高高低低という指定を与えてよいだろう。

ここで、《高低》という連続があるときの高の拍にはアクセント核があるという。
言語学(げんごがく)の場合、低高低低なので、3拍目にアクセント核があるというわけである。

私が持っている国語辞典は、三省堂の新明解国語辞典であるが、この辞典ではそれぞれの語に①とか②とかの番号が付いている。
これは、その語のアクセント核が何拍目にあるかのを表している番号である。
言語学(げんごがく)は3拍目が低に下がる前の最後の高なので、アクセント核③と表示してある。

新明解国語辞典では、歴史(れきし)という語には、⓪という番号がついている。
これは、この語にアクセント核が無いことを意味する。
つまり、高から低へ下がることが無いのである。
ではどのような高低の配列になるのか。
ここでもうひとつのルールとして、1拍目と2拍目の高低が異なるというルールがあることを述べておこう。
すると、歴史(れきし)は高から低へ下がらず(=アクセント核がない)、1拍目と2拍目の高低が異なるのであるから、
低高高という指定が与えられるだろう。

最後にもう一つ別のルールを挙げておこう。
それは、一度下がったら上がらない、というルールである。
すなわちアクセント核より後で低から高になるということは無いのである。

以上、日本語(東京)のアクセントのルール3つを述べた。 ここに再掲しよう。

A.アクセント核がどこかにある、もしくは、アクセント核が無い。
B.1拍目の高低と2拍目の高低は異なる
C.一度高から低へ下がったら、そのあとで低から高へ上がることはない。

これらのルールを知っていれば、あとはアクセント核がどこにあるかを辞典で確認すれば高低を適切に判断できるのである。
ぜひ辞書を実際に参照して、日本語学者たちが調べたアクセントを確認してみてもらいたい。

ところで、ある2つの語が単独では高低の配列が同じであっても、アクセント核の存在については相違する場合がある。
たとえば、鼻も花も低高であるが、このあとに助詞「が」をくっつけてみたときに、花のほうは高から低に下がる。
・鼻が(はなが)=低高高
・花が(はなが)=低

よって、鼻はアクセント核⓪であるが、花はアクセント核②である。

ここで、さまざまな《はし》をアクセント核とともに挙げてみよう。
イコールの右にアクセント核を白文字で書いているので反転させて確認していただきたい。
・端(はし)低高=
・箸(はし)高低=
・橋(はし)低高=②(→次に続く拍で低になる)

余談だが私が小学生のころ、私の発音が違うとよく指摘されていた語は、混乱(こんらん)という語である。
私はアクセント核①で発音していたが、家族からは⓪のような発音が正しいと指摘されていた。
新明解国語辞典も⓪であるとしている。

言語学の立場は言語使用については中立的な立場を保たなくてはならないため、「このように発音すべきだ」とは言えない。
しかし言語に隠れている規則性を見出すことはでき、アクセントに関しては上のような無意識のルールが存在しているのである。
この発見こそが言語学の仕事なのである。



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