浅野炭鉱アプローチ


早朝のダム湖畔には鳥の鳴き声しか聞こえない。
ホロピリホッパー
防寒の上下服に安全長靴、ヘルメットと皮手を準備した。
熊よけの鈴を腰に下げ、非常食とLEDライト、万能工具やロープを装備しダムサイトからガードレールを越えて
湖畔に下る。
ホロピリホッパー
すでに運炭ホッパーが半ば水没し視界に入る。クマザサと木々に遮られなかなか近づけないジレンマの中、
滑りやすい土泥に脚をすくわれる。
水没ホッパー
途中、土手の斜面にブロックで密封された坑口を発見した。
漏水が少し見られるが中の様子はうかがい知れない。
坑口
塞がれないままの坑口も現存している。
少し潜ってみよう
坑口2
急激に冷たい風がやってくる。
かなり下っていて地底湖も見える。
坑口2-1
安全灯が垂れ下がり、
水面下に何やら腐食した架台が見える。
坑口2-2
準備した***カンデラのハンディービームで照らしてみる。
レールとともにこの架台コンベヤーのアイドラーのようだ。
坑口2-3
斜坑用軌道の装置のようだ。
架台

ようやく廃墟に接近すると、その巨大さに圧倒され、しばし遠望できる場所でたたずむ。
遠望
秋の晴れた朝5時には霜が降りあたりは静寂に包まれる。
ダム湖畔には車道とも軌道跡とも思えない不思議な幅の道が
続く。エゾシカの足跡と糞が多量にあり、ごく最近のもののようだ。
獣道
しばれた土泥を踏みしめて巨大な運炭ポケットに再接近してみるとその大きさに驚く。
安全のためか、意図的に破壊された形跡もある。
ホッパー接近
頭上に絡むツタを除けながら、廃墟の懐へ潜入する。熊よけの鈴の音だけがあたりにひびく。
懐
ここで大勢の人が労働に従事し生産し散っていったことが異空間のように思われる。
ホッパーや給水設備が立ち並び、どの施設もコンクリートが崩れ落ち、鉄筋がむき出しになった箇所もある。
廃墟
自然ととけ込む事無く、何度の季節が経過したのか。時間を超えた不思議な感覚に包まれる。
異空間
ダムから土手をはい登り、さらに軌道跡を遡る。煉瓦の大きな施設や橋梁の下部構が見られる。
ホッパー
未選ビンの廃墟を歩く。
雨竜炭田の発見は明治20年頃以降で、調査の結果予想炭量2億3千万t、
硫黄分の少ない極めて用途の広い良炭として確認された。 未選ビン


浅野炭鉱が開坑した昭和6年は炭価が半値に暴落した時期で、
しかし満州事変の勃発により、軍事費や時局対策費の巨額予算が組まれ、
鉱業界はしだいに好転していった。 積込施設


昭和20年の敗戦により、前年度の半数にも満たない減産となったが、
その後、数々の政府による石炭政策が功を奏して、
昭和24年頃には経済再建、坑内施設の拡充により生産計画を達成できるまでになった。 積込施設



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