積極的考え方の力 ポジティブ思考が人生を変える。 |
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ノーマン・ヴィンセント・ピール | ||
永遠の生命 心痛に対するもう一つの治療法は、永遠の生命についての健全な哲学を持つことだ。 この確信はすべて、聖書という基盤の上に立っている。聖書は、「一人の人がこの世を去る場合にどういうことが起こるか」という大きな疑問に対して明確な洞察を与えてくれると私は信じている。この真理を絶対的・全面的に確信し、この点について少しの疑問も持っていない。 愛する人の死や、その結果としての肉体的別離によって生じる悲しみは防ぎようがないが、信仰はその悲しみを昇華し、霧散させてくれるだろう。また、人の死は避けられないという深い理解だけでなく、愛する人を永遠に失ったわけではないという確信も与えてくれるだろう。この信仰の上に生きなさい。そうすれば、気持ちは平静になり、心の痛手はやがて消え去るだろう。 私は、死という事態が起こった後でも、なお生命が継続していることを固く信じている。そして、死という現象には二つの面があると考えている・・・いま私たちが生きている面と、今後も生き続けていくという面である。永遠の生命は死によって始まるのではなく、すでに私たちは永遠の中に生きているのだ。生命は死によって形を変えるだけであり、しかもより良い状態に変わるのだと確信している。 母は墓地にはいない 私の母は立派な人だった。母からの感化は、私の生涯におけるどんな経験にも劣らない。母はすばらしく話し上手だった。その頭脳は鋭く、機敏だった。世界中を旅行し、キリスト教指導者として伝道のために広く人々と接することを楽しんでいた。母の生活はいつも充実し、豊かだった。母はよくユーモアを解した。母は私の良き友人でもあり、私は母と一緒にいることが大好きだった。母は、まわりの人から、非常に魅力的で影響力の強い人と考えられていた。 私は成人してからも、機会あるごとに母に会いに実家へ帰った。私はその日をいつも胸はずませて待っていた。なんと幸福な再会だっただろう。なんとすばらしい団らんだっただろう。 そうするうちに母の死がやって来た。私たちはオハイオ南部にあるリンチバーグの墓地に母の遺体を丁重に横たえた。この町は、母が少女時代を過ごしたところだ。私は、母をそこに置き去りにすることが非常に悲しく、重苦しい気持ちでそこを立ち去った。それは真夏のことだった。 秋がやって来た。私はもう一度、母と一緒にいたいと思った。母なしでは寂しくてたまらなかったので、リンチバーグに行くことを決心した。私は列車の中で夜通し、過ぎ去った幸福な日々のことを想い、すべては一変して二度と昔に還ることはないのだと、悲しい物思いにふけっていた。 こうして私はこの小さな町に着いた。非常に寒く、私か墓地に行くころには空もすっかり曇っていた。古い鉄の扉を押し開け、落ち葉を踏み鳴らしながら母の墓へ進み、一人寂しくひざまずいた。すると急に雲が切れ、太陽が現れた。太陽はオハイオの丘陵を、絢爛(けんらん)たる秋の色に照らし出した。その丘陵は、私か少年時代を過ごしたところでもあり、母自身も少女時代を遊んだところだった。 そのとき突然、母の声が聞こえたような気がした。その声は明瞭で澄んでいた。それは昔のままのやさしい母の口調だった。 「なぜおまえは、死者の中に生きた者を捜そうとしているのですか。私はここにはいません。おまえは私かこの薄暗い陰気な場所にいるとでも思っているのですか。私はいつもおまえと一緒にいるのです。私の愛する人々といつも一緒にいるのです」 私は身体の中に光明を覚え、不思議なほどの幸福を感じた。私は、そのとき聞いたことが真実だと思った。 立ち上がって墓石の上に手を置き、それが何であるかをじっくりと見た。身体は確かにそこにある。だがそれは、着る人が不要になって脱ぎ捨てた着物にすぎない。栄光に満ち、美しい精神を待った母はそこにはいないのだ。 私はその場所から去った。それ以来、めったにそこには行かない。もちろんそこで、母や私が若かったころの思い出にふけってみたいとは思うが、もはやそこは陰欝なだけの場所だ。母はそこにはいないのだから、そこは単なるシンボルにすぎない。母は永遠に愛する人々と共にいる。 「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」(ルカによる福音書二四章五節) 聖書は、神の愛と永遠の生命を説いている。この聖書を読み、信じなさい。そして、信仰をもって心から祈りなさい。信仰と祈りを生活の習慣としなさい。 「わたし(キリスト)の父の家には住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです」(ヨハネによる福音書一四章二節) あなたはキリストの信頼性に頼ることができる。もしそれが絶対的な真理でなかったら、キリストはそれほど重大なことを私たちに信じさせたり確信を持たせたりするはずがないだろう。 このように、永遠の生命に対する信仰こそが、あなたの心痛に対する最善の処方箋なのだ。 |
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