逆さ地図



国土地理院の地図を加工。通常の日本地図で刷り込まれた地理感覚をリセットするため,わざと裏返してある。
   大陸から古代の手漕ぎ船で渡ってきたら日本海沿岸に沿って航海することが自然であろう。これを眺めていると,『魏志倭人伝』の最後の行程「不弥国から南へ投馬国に至る水行20日,南へ邪馬台国に至る水行10日,陸行1月」 は,「博多湾−(海路20日)−出雲−(海路10日)−丹後半島 または 若狭湾(敦賀?)(陸路1月)−大和 」説を支持したくなる。方向については,朝鮮半島の先端から九州北岸まで海路を南行した延長で,不弥国以降の海路(つまり本州)も南に向かうと想像されていた。この部分は,旅程が定着していた 帯方郡(朝鮮半島中西部に後漢〜魏〜晋が設けていた郡・大使館)--- 対馬 - 壱岐 - 伊都国(帯方郡出張所) と違って,おそらく伝聞に基づく記述だろう。倭国内の代表的な大国である投馬国(5万戸)や邪馬台国(7万戸)の位置関係を記しているだけであって,邪馬台国からの使者が通っていた道筋を表しているとは限らない。