自らをこの時空に封じ、一体どれだけの時が過ぎたのだろう。
いや、ここはもはや時間という概念が通じる空間ではなさそうだ。
群青と暗黒が風紋のように波打ち、マーブリングの絵具の如く無造作に流動している。
この場を支配する景色、景色と呼ぶにも値しないか、唯一目に映るものがそれだ。

上も下もないこの世界を、私は永遠に漂うのだ。
犠牲を厭うな。覚悟の上で発した言葉、後悔はない。
彼の世界に平穏が訪れるならば。

永遠というものは、実は停止と同義である。
変化し続けるという不変の道理さえ捻じ曲げられ、消え去ることも、存在することもできない。
この身に封じたイブリースの炎を道連れに。

次第に自身と空虚の境目が曖昧になる。思考が鈍り、自我の溶解すら感じられる。
そんな折に、奴は現れた。
粘度ある漆黒が沸き、形を変え、次第に覚えのあるハリネズミとなった。

「やってくれたねぇ。お陰でこんな所まで来なきゃならなくなったじゃないか」

奴は、そうだ、メフィレスだ。
時空を歪ませ、私達が過去へ干渉を始めたのは奴が発端。
その能力を以てすれば、永遠ですら奴の前には障壁にはならないだろう。

「イブリースを追ってきたか? 生憎だがもう私と同化し、分離は容易ではないぞ」

脱力した姿勢はさながら人形、到底生命を感じさせる様ではなかった。
背を捻じ曲げながら奴は笑った。低く、深く、くぐもった声で。
変わらず感情を示さない冷たい目付きのまま。

「僕はね、もうどっちでもいいんだ。イブリースの炎でも、君の炎でも、この身が求めて止まないんだ」

この場所は無であり全だ。演技掛かった叫びと同時に諸手を掲げると、時空が大きく揺らいだ。
濃紺が次第に色を帯びてゆく。明るい。窓辺から差し込む陽光のように明るい。
それもその筈。色はやがて像を結び、かつて過ごした世界が、青空を取り戻した姿を映し出したのだ。

「彼は、とても寂しがっているよ」

そこに白銀の背中が現れた。一目では、シルバーだと気付けなかった。
一度、自身の記憶が欠落したのかと疑った。停止した世界に侵食を受け失ってしまったのかと。
それ程に彼の背中は見知った姿とあまりにかけ離れていた。活力を全く感じさせない、虚に空を眺める背中。

「僕なら彼をもう一度、元気付けてあげられるんだけどなぁ。僕と、一緒に来てくれさえすれば」

次々と姿を現す世界。窓か、鏡を覗き込むように元居た世界の様子を見ることができる。
過去に出会った、青いハリネズミも、人間の王女も、住まうすべての人々が平和を謳歌していた。
どの時代の誰もが幸福そうだ。だから、シルバーだけが不幸な印象。奴が、強調しているのだ。

「僕と君が宿す炎が一つになれば、世界の隔たりなんて無きに……何をしている!」

無表情が血相を変えた。無数に漂う現世像の一つに、奴の氷のような瞳が釘付けになる。
その先にあるのはあのハリネズミと王女。小ぶりの燭台に乗る炎を挟み対面している。
止めろ。メフィレスは叫んだ。彼らからの反応は皆無。この窓は所詮、開かれる窓ではなかった。

「それを消したらすべてが無くなる! 僕が、イブリースが、ソラリスが消えてしまう!」

させない。認めない。彼は必死だった。
その割には時空を超えようとしない。この次元まで来れたというのに、それが解せない。
だが解はあっさり得られた。私の中にあるイブリースの炎が必要なのだ。

「あの次元は特別だ。あそこだけは、イブリースと一つでいなくては」

その炎が今、必要なんだよ。私に懇願してくるも、折角封じたこれを渡す余地など皆無。
そうあしらうと、奴は大きな身振りを交えて熱弁を振るう。
嗚呼、君は愚かだ。何もわかっていない。

「イブリースを封じる君も、あれが消されたらただでは済まないんだよ!」

あの燭台に灯るのが生まれたてのソラリス。私達の世界の、元凶の原点。
その影響を受けたすべての事象が、ソラリスと共に消失するのだという。
彼を苦しめ続けた根源が絶たれるならば、それは願ってもないことだ。そう言ってやった。

「あれが消えたらもうやり直しは利かない。君を抜きにして、もう一度世界が始まる!」

物乞いのようにせがみ来るメフィレスを、振り払った。
どれ程私に益が有るかを説こうとも、所詮それは奴の益の為でしかない。
覚悟を揺るがせる要素は、皆無。

「貴様の存在も、まさに風前の灯火、というわけだな」

王女は戸惑いながらも、その目に覚悟を宿した。ハリネズミの一言後押しを得て。
ソラリスが消される。あっけなく、ただの呼気一つを前に成す術なく。
そして新しく始まる世界から、私は蚊帳の外に置かれる。

「終わりだ。僕も、君も」

時空のうねりが乱れる。元々秩序などないものを指して奇妙だが、混沌の中に騒めきを感じた。
残念だよ。その次元の騒乱に飲み込まれるように、メフィレスの姿が散開してゆく。
同様に私も身体が、意識が、瓦解してきている。私のすべてが霧散してしまう、その前に。

炎を灯した。

崩れ去るメフィレス。その光を宿さない目が最後に見る炎。
奴が焦がれ続けた炎。私が宿す炎。
私の身体の崩壊だけが停止した。そうか。感覚で、理解した。

「メフィレス。私が、この炎が彼らのとは全く違う別の、真新しい世界を照らし出そう」

その世界に闇は不要だ。強烈な輝きに触れ、メフィレスは煙の如く跡形もなく消え去った。
光が世界を照らす。この次元に居て今まで見えてこなかった世界が広がってゆく。
やがて光が満ちた時、私の身体も意識も光に抱かれた。


























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封じられた次元でブレイズはどうしていたのだろうかな、という想像。
メフィレスにブレイズの炎、という組み合わせは相性いいなと思う。考えていて楽しい。