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米軍撤退へ—主権は握って離さない

 9月30日、長崎県母親大会で冨塚明さんが「いま、日本の米軍基地を問う」と題して講演。その中で紹介された、主権を貫いて基地を返還させ、米軍を撤退させた国の例を掲載します。

■フィリピン:憲法に書き込む

 フィリピンには巨大な米軍基地が2つあった—スービック海軍基地とクラーク空軍基地である。第二次世界大戦後、これらは米比基地協定に基づいて米軍に1947~1991年の間、使用が認められることになった。

 フィリピンでは1986年2月にマルコス独裁政権が不正選挙をきっかけに倒され、アキノ政権が誕生した。87年2月に新憲法が制定され「米比基地協定が1991年9月17日の期限切れ後、新条約を結ばない限り外国軍隊を置くことはできない。新条約承認には上院議員の2/3以上、または国民投票による同意が必要」と書き込まれた。

 フィリピンは90年6月に協定終了を通告して米国と交渉を開始する。要求はクラーク基地を含む5つの基地を返還、スービック基地の使用は協議するというものだった。米国は怒ったが翌91年6月にフィナトゥボ火山が大噴火し、クラーク基地は甚大な被害を受ける。そのため米国はクラーク基地撤収を通告し、スービック基地の10年間使用を要求する。しかしフィリピン上院は新条約を批准せず、すべての基地が返還され、92年11月までに米軍は撤退した。

■パナマ:条約に書き込む

 パナマは1903年の独立の際に、運河地帯の主権を永久に譲渡する条約を米国と結んでいた。クーデターで実権を握ったトリホス政権は主権回復を求めて交渉を行い、77年に新たに99年末までの運河返還と米軍撤退を書き込んだ新条約を米国と締結した。

 81年にトリホス大統領が飛行機事故で死去して親米のノリエガ大統領に代わったが、ノリエガ軍事政権は反米的独裁姿勢を強め、米国への麻薬密売を資金源としていた。そのため米国は89年12月にパナマに軍事侵攻してノリエガを排除し、エンダラ政権を誕生させ、運河地帯の主権継続を画策した。しかし94年9月にバヤダレス政権が誕生し、条約どおり99年末にパナマ運河は返還され米軍も撤退した。

■エクアドル:憲法に書き込む

 エクアドルは米軍のパナマ撤退直前に米国とマンタ空軍基地の10年間使用協定を結んだ。

 07年1月に米軍基地撤去を公約に掲げて誕生したコレア政権は、エクアドルと米国は対等だとして、米軍のマンタ基地使用と引き換えに、米フロリダ州マイアミにエクアドル基地を建設するよう要求した。米国が拒むとコレア政権は08年10月に「国内の軍事基地を外国の軍隊ないし安全保障勢力に譲渡することを禁止する」旨、明記した新憲法を制定した。コレア政権は基地の継続使用を拒否する通告を行い、米軍は09年9月に撤退した。

■イラク:地位協定に明記

 イラクの場合、米軍撤退が前提だった。今の時代、占領軍が長く居座ることはできない。イラクは米国の協定案について110項目の修正を要求し、主張を突きつけた。08年11月に締結された「米軍のイラクからの撤退およびイラクでの暫定駐留期間における米軍の活動組織に関する協定」には「すべての米軍はイラクの領土から2011年12月31日までに撤退する」ことが書き込まれ、実際に米軍は完全撤退した。

(2018年10月1日)