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慈しみの心を持つ「命」の教育を

憲法改悪阻止県共同センター総会

 憲法改悪阻止長崎県共同センターは4月5日、14年度総会を長崎市で開きました。

 塩塚二朗代表委員は「来年、戦後70年の節目の年。平和な国をつくってきたのは私たちのたたかいに尽きるのではないか。それに確信を持ちながら、憲法を守る運動を続け、若い世代に引き継ぎたい」と開会あいさつしました。

 光源寺・前住職の楠(くすのき)達也さん(長崎市佛教連合会長)が「汝ころすなかれ」と題して講演。お釈迦さまの言葉である「汝ころすなかれ」を紹介し、会場のほとんどが戦争を知らない世代であることを挙手によって確認しました。「戦争は体に刻み込まれている。物心ついたときから、戦争の何かが身に付いた」とのべ、戦争ごっこで育った経験などが「子どもの原点の中で戦争があった」と話し始めました。

 「1944年夏、兵隊がいっぱい長崎に来たことがあり、その兵隊が金平糖をくれたことが意識の中で戦争の最初でした。そのときの金平糖は、甘い物がほとんど無かった時代、ダイヤモンド以上のありがたみがあって、もらって喜んでいました。しかし、軍靴で殴られ血塗れになる兵隊や、井戸のつるべでロープで井戸の中に下ろされることを何度も繰り返される兵隊の姿を見せられてきました。金平糖をくれた優しい姿とは対照的でした。あいだみつおさんの言葉に『感動とは感じて動く』というものがあります。幼いときの感動は消えず、体に刻み込まれるのです。

 終戦50年のときに、沖縄での慰霊祭を経験しました。お勤めをしたとき、金平糖の話をしました。あのときもらった金平糖の味が初めて分かったのは、ずっと後の話で、そのとき、金平糖をくれた兵隊は、若い兵隊ではなく、老年兵の集まりだとそのときに分かりました。何十年もかかって、ふるさとに残った子どもたちに渡した最後の金平糖だったと気付き、戦争でそのときの兵隊は誰も帰ってこなかったことを思うと、私は金平糖を買いに走りました。絶対に戦争はいけない。感動は、何十年も経って動くものです」

 楠さんは「危ない時代になった」とのべ、「私たちよりもっと戦争を知らない世代に戦争について語らなければならない」と話しました。

 「行動する原点とは何か? それは、8月9日に長崎に原爆が落とされたことです。空襲警報が解除され、B29の音を聞いたとき、蝉取りに夢中だった私に大人が怒ってお寺に引っ張られました。入った途端、『ピカドン』。それで爆風を避けて助かりました。その後、諫早からの炊き出しで食べたおにぎりをむさぼった経験が感動でした。諫早大水害のとき、おにぎりを持って諫早に行きました。そういう行動を取ったのは、感動によるものです。人間とはそういうもので、一番感じたことに動かされます。私は原爆で亡くなった人たちのために働く必要性を感じました。反戦や反核を主張せずにおられない。そうせざるを得ない原点があった訳です」

 楠さんは、1954年にインドのネール首相が贈った仏舎利(お釈迦さまの遺骨)が、宗教と政治の関係で長崎市佛教連合会に譲渡・保管されていたのを、西日本新聞の記者の記事がきっかけで、60年の歳月を経て、平和公園内に安置することになった話をしました。そして、平和活動について、「わーわー騒いだからといって、人は動かない。割り箸一本の働きをしなさい。タライに水を入れて、割り箸を入れて動かしていると、流れができる。一人がたきつけて行動を広げるのが平和運動の原点。各宗教者が8月9日の慰霊祭のために集まって話をする中、仲良くなっていった。勇み立ってするばかりが平和運動ではない」と話しました。

 最後に、楠さんは(1)慈しみの心を持つ「命」の教育(2)仏壇に手を合わせる「拝む」という教育(3)「恩」の教育ーの3点が大事だと言いました。一片でそうなるものではなく、身近な者たちでつくっていくことが大事として締めくくりました。

 総会では、活発な議論がなされ、月3回の街頭宣伝のやり方や、インターネットやソーシャルメディアの活用に関しての提案、若い世代への働きかけの方法などが話し合われました。

(2014年4月7日)